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(著者抄録)
現在,日本企業における福利厚生は大きな転換期を迎えている。厚生年金保険や健康保険などの法定福利費の増加が企業に厳しい財政的圧迫を加えている。また日本企業が優れたコスト・パフォーマンスと,生産性と連動するフレキシブルな雇用システムへの転換への指向を強める中,雇用の不安定化や能力主義賃金の普及など福利厚生と密接に関連する労働領域の変化も大きい。さらには高齢者や女性労働者の増加,様々な就業形態・雇用形態の出現による従業員層の多様化に伴う福利厚生へのニーズの多様化も著しい。こうした動きの中,福利厚生は雇用,賃金を含む全体的なシステムとしてとらえ直される必要に迫られ,新たに明確な存在理由を示しうるかが問われている。

(論文目次)
I 現状と変化
   1 基本構造と生成過程
   2 費用負担の増大
   3 多様化するニーズ
II 諸課題
   1 問われるコスト・パフォーマンス
   2 困難なスクラップ・アンド・ビルド
   3 その他の課題
III 今後の展望
   1 転換期を迎える企業福利厚生
   2 フリンジからコアへ

I 現状と変化

1 基本構造と生成過程

 企業福利厚生は,起源的には農村出身の低賃金労働者や遠隔地域で就業する労働者に対する現物給付を中心とした恩恵的な生活援助であり,食事援助や寄宿舎,強制貯蓄,購買などが主たる施策として実施された。社会保障制度や労働保護立法が未整備の当時では,低賃金補完,社会保障肩代り,組合対策などの多面的な役割を担うこととなり普及が進んだ。
 戦後,高度成長期を通じて社会保障制度の整備や賃金水準の上昇が進むにつれて,低賃金補完の意味あいが希薄となり,また社会保障給付水準の上昇によって,社会保障の全面的な代替機能からも解放され,相互補完・分業関係へと移行した。さらに福祉重視へと社会的潮流が転換する過程を経て,今日,企業福利厚生は二つの領域から成る基本的構造をもつに至る。ひとつは社会保障(福祉)システムの一部として公的福祉の実現を担う領域で,法定福利厚生と総称される。健康保険や厚生年金保険などの社会保険制度から法的に,すなわち強制的に保険料負担や事務代行などの事業主関与が義務づけられる部分である。
 もう一方は,各企業の任意的判断に基づく施策展開がなされることから先の法定福利厚生と対比され,法定外福利厚生と総称される領域である。各企業にとっては,ここでの資金投下は,自社の従業員のモラール,定着率などの維持・向上を目的として行う一種の労務管理費用であり,ひいては経営組織の生産性向上のための人的資源投資として位置づけられる。
 本稿の目的は,以上のように法定,法定外の二つの領域から成る企業福利厚生の現状を概観し,その置かれた状況を俯瞰的にみることによって今後の展望を検討することにある。ただし議論の焦点は法定外に置き,法定福利厚生については重要な与件として位置づけるにとどめる。
 法定外福利厚生においては,各企業の自由裁量によって施策の導入等が決定されるため財政力の差が直接的に反映され,結果的に企業規模間での格差が著しい。すなわち中小企業に比べて相対的に財政的余裕のある大企業層において質,量両面で充実した施策が展開されてきた。ただし規模間格差は財政的な理由だけでなく,大企業層で顕著な日本的な雇用特性との密接な関連性がその拡大を促進する要因ともなっていた。たとえば豪華な社宅や食堂,レクリエーション施設などが話題となる福利厚生施設に関する領域では特に規模間格差が著しい。企業側からすると各従業員に対してこうした多大な費用投下,すなわち人的投資を行うには投資効果を得るための回収期間が長くなければならず,施設投資を決断する背景には従業員の長期勤続慣行が基本的な前提にあったと考えられる。
 また大規模な組織であるほど,多くの従業員が長期間,共存関係を良好に維持するために集団内における様々なコンフリクトの解消,相互の密接なコミュニケーションなど共同体維持のための施策の必然性が高まる。加えて,成長期の代表的な日本企業が指向した集団主義的な組織特性を醸成,維持するためにそうした全社的なイベントやスポーツ活動など様々な福利厚生施策は非常に有効に機能したとみられる。
 さらには大企業層で法定外福利厚生が充実した要因には,労働組合組織率が高く,しかも,その形態が企業内組合であるという点も大きい。強力な職業別組合が形成されなかったわが国では,従業員の利益代表である労働組合の最小単位が企業ごとであり,労使交渉が企業内で,同一企業に属する労使当事者によってなされた。したがって組合側からの福利厚生関連要求とそれに伴う交渉,妥結に至るプロセスが企業内で完結することが可能であった。

2 費用負担の増大

 現在,日本企業がが福利厚生に対して支出する費用は,表1にみるとおりである。

表1 福利厚生関連費用の現状

 まず左表は日経連が平成5年に行った調査で,月額平均で法定費用が5万998円,法定外費用が2万8545円,退職金関連費用が3万8171円で,3者の費用合計が11万7714円となる。それぞれ現金給与の50万983円に対して10.2%,5.7%,7.6%,合計では23.5%程度の比重をもつ。この調査は日経連加盟の業界団体を通じて行われており,従業員数平均が4858人と全体的に企業規模が大きく,また製造業の比重が高いのが特徴である。
 右表は労働大臣官房政策調査部が平成3年に行った調査で,対象企業は事業所統計の企業リストを基に抽出した常用労働者30人以上企業である。集計に際しては産業,企業規模によって母集団構成への復元を行っている。したがって日経連調査に比較すると日本企業全体に対する代表性は高い。ここでは法定福利費の平均月額が3万8711円,法定外福利費が1万3340円,退職金関連費用が1万8453円となる。その他の項目を含めた合計が7万7422円となり,現金給与総額に対しては20.2%の比重をもつ。
 当調査では日経連調査に比べると企業規模が小さいことから現金給与水準が約24%程度低く,福利厚生関連の費用も全体的に低水準である。現金給与に対する比重でみても法定外費用や退職関連費用では先の調査との格差が観測できる。しかし法定福利費では比重にほとんど差がなく,両調査の標本特性の違いに影響を受けていない。一方の法定外や退職金で財政的余裕のある大企業層で支出水準,配分率ともに高く,標本特性の影響が大きいことと対照的である。これは厚生年金や健康保険など保険料が従業員の報酬月額を基本テーブルとし,給与水準に比例して算定されるためである。
 法定福利費は企業にとって公的な性格の費用であり,法人税とも類似するが,法定福利費が企業にとってより深刻な負担となるのはその算定基礎の違いにある。法人税は当期利益部分に課税されるものであり,黒字収益の場合にのみ税負担が発生する。その点では経営業績の変動に対して連動し,負担原資のない場合,つまり赤字決算となれば負担は発生しない。しかし法定福利費は雇用する従業員数と彼らの報酬月額水準によって業績の好不調に関わらず支出を余儀なくされる。法定福利費は近年の著しい増加傾向によって法定外福利費の2~3倍に達する水準にまで膨張している。今後,従業員の高齢化がすすむと,年功的な賃金体系をもつ企業では負担水準がさらに上昇することになる。また厚生年金保険での財政再計算に伴う料率変更や現在推計されている医療費の伸びによって健保料率の切り上げなどが予想され,ますます大きな負担が求められる恐れがある。
 こうした法定福利費の増加によって,法定外福利費の伸びは必然的に抑制されることになる。昭和45年に前者が後者の費用総額を上回って以来,格差が開き続けており,法定費負担増のバッファーとして法定外施策はリストラを余儀なくされている(図1)。法定外での最近10年間の費用構成でみると,給食や購買などの生活援助や医療・保健関連,また文化・体育・レクリエーションなどの比重を減らしている。代わって重点的な費用投下がなされているのは住宅関連の領域で,特に世帯用住宅に関する伸びが著しい(表2)。

図1 対現金給与比

表2 法定外福利厚生費の構成比推移

3 多様化するニーズ

 このように法定福利費の負担増によって供給側である企業が財政的に厳しい状況にある一方,福利厚生の需要者である勤労者側も様々な変化の過程にある。
 昭和34年には15歳以上人口に占める女性雇用者の比率は21%に過ぎなかったが平成6年には、38%に伸び,女性雇用者は実に2.9倍も増加した。現在では雇用者全体に占める女性比率は39%に達している。また高齢雇用者の増加も著しく,昭和48年当時の雇用者全体での60歳以上の比率は5%であったが平成6年には11%にまで伸び,また55歳以上でみると10%から37%へと4倍近い増加となっている。このほか雇用者の世帯構成においても単身世帯が増え,世帯単位の縮小が進んでいる。さらに就業形態や雇用形態の多様化も著しく,派遣労働者,パートタイマー,出向社員,契約社員などの非正規労働者層が確実に増えている。
 またわが国の経済的成功は生活水準を上昇させ,国際的にみても非常に豊かな生活を勤労者の手にもたらした。福利厚生の生成段階にあった貧困や過酷な労働条件などは,今や遠い過去のものであるばかりか,高度成長期にみられた“モーレツ社員”“企業戦士”といった仕事中心のライフスタイルも現在ではすっかり影を潜めた感がある。勤労者はゆとりある個性豊かな生活を求め,多様なワークスタイルを模索しはじめている。
 こうした様々な局面での従業員層の多様化,多質化が,福利厚生に対する彼らのニーズを分散化させる基本的な背景を生み出している。
 表3は,民間労働組合が企業に対して行った福利厚生関連の要求項目,件数について71年,72年,73年と,直近の93年,94年,95年のそれぞれ3ヵ年の平均の比較をみたものである。要求項目の分類がこの間大幅に変更されているため,要求件数での増減をみることができるのは上段にある「持ち家・財形・社内預金」「社宅・独身寮」などの93-95年時点での29項目である。中段に示した「借上社宅制度」「福利厚生ビジョン」などの26項目は71-73年当時には項目がなく,この間に分類項目として新設されたものである。また下段の10項目は71-73年当時あったものが93-95年には消滅しているものである。総合すると16項目が純増加した。項目構成だけでみても大幅な変動が行われたことがわかる。また要求件数では,全体で534件から472件へと減少した。特に継続比較ができる29項目計では510件から314件へと大幅な減少を示し,減少分を新設項目の158件が吸収する形になっている。これら項目の大半は労使交渉の対象となる性格のものであるから当然,法定外福利厚生の範疇に属している。

表3 労働組合側からの福利厚生関連要求項目の比較

 この労働組合の要求内容を従業員の福利厚生へのニーズが集約されたものと読み替えみならば,この約20年間にわたって継続的に求められてきた恒常的なニーズが直近の時点で全体項目の約50%強でしかなく,しかもそうした長期間維持されてきた要求項目も件数べースでみると大幅に減少している。代わって「介護休業・短時間勤務制度」「育児休業・短時間勤務制度」や「リフレッシュ休暇制度」などの新しいニーズが数多く出現してきている。この比較で要求件数全体のボリューム自体が減少したのは,直近時点が不況下にあるという事情が影響しているが,分類項目数の増加する割には要求件数が増えないというのがこの20年間での基本的な傾向である。これは従業員層で共有できるニーズの比重が全体として減少していることを示すものである。また先にみた法定福利費増による法定外領域への予算制約の強まりが,このニーズ分散化現象の背景にあることを考慮せねばならない。つまり企業への要余にあたって本当に求めるものだけを従業員側が絞り込まざるをえない状況下にあり,恐らく不要不急の項目を排除した結果なお,こうしたニーズの多様化が観測されているのである。
 では,このようなニーズの分散化,多様化現象がなぜ起こったのであろうか。
 まず最大の要因は,先に述べたように需要者である従業員そのものが属性的な側面や価値観の露出等によって多質化,多様化したことである。
 また一部企業の労使間では長期間の蓄積によって共有ニーズ部分がかなりの程度,すでに充足されたことが考えられる。つまりニーズが成熟化したのである。特に金融機関や大企業などのように基礎的な福利厚生ニーズが高い水準で充足されており,それが従業員側の既得権化している場合には,必然的に要求項目はいまだ手にしていない新しい項目へと向かうことになる。
 さらに近年では,「育児休業,介護休業」「フレックス・タイム」や「ボランティア休暇」「ドナー休暇」など様々な社会的要請やアイデアが関係者の中から活発に提供されたことも多様化したニーズの受け皿として,こうした現象を顕在化させる役割を果たしたことも考えられる。
 いずれにしても,こうした福利厚生に対する従業員ニーズの多様化は,対応する企業側にも施策の多様化を求めることになる。実はこの動きは大きな問題を含んでいる。すなわち多様化以前,共有ニーズの比重が大きい時期には,比較的少数の施策を重点的に充実させれば,従業員の全体的な満足水準を向上させることは容易であり,そこではスケール・メリットも効果的に作用させることができた。しかしニーズが多様化し,企業が多品種少量型の対応を余儀なくされ始めると,全体的なコスト増と各施策当たりのコスト・パフォーマンスの低下を招く。結果的には多様化すればするほど,企業はコスト増に苦しみ,その効果を疑い,従業員の多くが要求に対して十分に充足されないことに不満感を強くすることになる。



II 諸課題

1 問われるコスト・パフォーマンス

 福利厚生に関する費用は,現金給与や教育訓練費などと並んで労働費用として支出される。その原資となるのは企業が経営活動から生み出した付加価値である。現金給与や福利厚生費は,その付加価値の従業員への配分であると同時に,経営的な視点からみるとその支出は将来より高い付加価値を得るための人的資源への投資とみることができる。効果的な賃金制度や福利厚生施策をもつかどうかで,企業組織のパワーが左右されることはいうまでもない。
 図2は昭和44年の水準を100とした場合の平成5年までの全法人企業における従業員1人当たりのそれぞれ,付加価値,従業員給与,福利厚生費の相対値である。このとき付加価値が名目値で5倍弱の伸びであるのに対し,福利厚生費では7.6倍とそれを大きく上回る伸びを示している。現金給与が5.6倍と付加価値の動きと比較的連動しているのと対称的に福利厚生費との格差はますます拡がる傾向を示している。ここでの福利厚生費は法定費用,退職金費用を含む値であるため先にみた両費用の急速な増加が原因と考えられる。また図3は,付加価値に対する経常利益と福利厚生費の比率を比較したものであるが,平成5年には昭和44年来初めて福利厚生費が経常利益を上回った。

図2 1人当たり付加価値に占める比率

図3 付加価値に占める比率

 いずれも企業の生産性や収益性といったパフォーマンスと独立的に膨張する福利厚生費の特徴を端的に示すものである。

2 困難なスクラップ・アンド・ビルド

 こうした費用負担の増大とともにコスト・パフォーマンスの向上を図ることが重要な課題となりつつある。
 企業にとって福利厚生は複数の施策から構成される一種のポートフォリオであるから,全体的なパフォーマンスを上げる最も近道は,ニーズが少なく効果の低い施策を排除し,反対に,強いニーズがあり,期待する成果が得やすい施策を新設あるいは増強することである。しかし一般に福利厚生施策の改廃は容易ではない。労使交渉を経て制度化されるため従業員側にとっては貴重な既得権益とみられているからである。たとえごく一部の従業員しか利用していない施策であっても廃止に際しては,その利用者から強い不満が出やすく容易にコンセンサスを得ることができない。また福利厚生は効果測定が困難で,廃止新設いずれにおいても従業員の要望や業界内での横並び比較が重視され,必ずしも効果との関連が厳しく管理されないのが現状である。

3 その他の課題

 また福利厚生に対しては社会的な視点からもいくつかの問題提起がなされてきた。
 その第1が企業間格差の問題である。先述のとおり法定外領域では企業規模による格差が非常に大きいことから勤労者間での不公平性を高めるとの指摘がなされている。図4は,資本金1000億円超の大企業層と10億円未満の中小企業層の両者における付加価値に占める福利厚生費,従業員給与の比重の推移をみたものである、昭和44年から平成5年の間,大企業層では福利厚生費への配分率において常に小企業層を大きく上回っており,全体的に右肩上がりの線を描いている。中小企業層では福利厚生費への配分率の増加幅は小さく従業員給与での配分率の変動が目立っており,昭和44年以降62年頃までは大企業層を上回る配分率であることがわかる。平成5年の時点では両者の格差は配分率で4.2ポイント,実額べースでは83万円(1人当たり年額換算)で,約3.3倍にまで格差が拡がっている。

図4 規模別配分率比較

 また福利厚生に対しては課税面での不公平性も指摘されている。給与については所得額が完全に補捉され累進的な所得課税がなされる。しかし一般に福利厚生による資産の譲渡,提供,貸与,用役の提供を無償または低い対価で受けた場合には,税法上の課税義務が発生するにかかわらず,補捉上の困難さも手伝い,従業員に課税されることは事実上ほとんどない。したがって福利厚生への配分が増えることによって従業員間での税額のアンバランス,すなわち「課税の不公平」を生み出しているとみることができる。
 さらに福利厚生には,転職の不利益を高めるという問題点もある。賃金はある意味で「所有権」の移転だが,福利厚生施策は多くの場合「利用権」でしかない。従業員がこの利用権を保持し,十分なベネフィットを得るためにはひとつの企業に長期間勤続することが前提となる。特に退職金,企業年金なとの施策が典型で,定年退職時まで在社しない限り,自己都合退職による不利益を被ることになる。福利厚生にはポータビリティの考え方が希薄なのである。



III 今後の展望

1 転換期を迎える企業福利厚生

 なぜ企業は福利厚生を行うのか。なぜ従業員が福利厚生を求めるのか。
 現在,この基本的な問いかけに対して改めて明確な回答が求められている。自然発生的でありながら福利厚生の生成期には明確な役割,存在意義があった。周囲に何の小売店もない山間部での鉱山作業や建設工事に就く労働者に対する食堂,寄宿舎,医療施設などの福利サービス提供は事業存続,生活維持のために不可欠な要素であった。従業員がそれらサービスを手にいれるには無償,有償を問わず企業が提供するしかなく,社会保障などの公的なサービスや市場からの購入がほとんど期待できない状況があった。その意味では決してフリンジ(付加的)ではなく,インディスペンスブル(不可欠)なベネフィットであった。
 また高度成長期にあって大企業層で急速に拡充された様々な手厚い福利厚生施策もやはり明確な存在理由があったといえよう。共同体的な特性をもつ経営組織の凝集力を高めることで,継続的なコスト・ダウンを行い,製品品質を向上・維持するなど,そうした集団としての強さ,ひいては国際競争力という目的実現に対して確かに貢献したと考えられる。
 つまり,これらの時期には賃金という報酬だけでは組織を維持し,期待する生産性を実現できない状況があり,福利厚生にしか果たせない役割や機能が明確に認識されていた。また同時にそのサービスはそこで働く従業員の多くが求め,受け入れられるものであった。
 しかし今日,福利厚生は多面的な役割期待を受け,社会的プレゼンスを高める一方で,企業と従業員の直接的な当事者にとって明確に目的,期待,効果などがみえにくいと存在と、なりつつある。
 最近の企業へのアンケート調査をみる限りでも長期的な運営ヴィジョンの欠如,効果測定の困難さ,根強い従業員の賃金指向,利用者の偏在化など,いずれも現行の福利厚生制度の存在に関わる困難な問題点が強く認識されている(表4)。

表4 福利厚生における問題点

 また今後予想される労働環境の変化は,福利厚生の存在と密接に関わってくる可能性が高い。まず第1に雇用の不安定化である。中高年層や新卒者などで顕著にみられるようにこれまでになく失業の不安が高まっており,各所で厳しい予測もなされている。
 またこれまでの年功色の強かった賃金制度に代わって能力・業績主義を標榜する賃金制度の普及が急速である。比較的短期間での評価によって同期入社や同年齢層の従業員間に大きな報酬格差を生むものである。これには高齢化に伴う賃金コスト増加への抑制を図ると同時に,生産性への強い動機づけ,従業員間競争の活発化などが意図されている。
 こうした雇用や賃金における現象が今後の福利厚生のあり方にどのような影響を及ぼすかは現在のところわからない。しかしこれらの変化を促す背景には,事業の再構築やビジネス・プロセスの全面的な見直し等,日本企業のより強い新しい生産システムヘの模索があることを認識せねばならない。つまり変化への動機はすべて同じなのである。スリム化され優れたコスト・パフォーマンスをもつと同時に,生産性との高い連動性を有するフレキシプルな雇用システムヘの転換が強く指向されている。雇用・賃金・福利厚生からなるシステム全体の中で福利厚生をとらえなおさねばならない理由はこうした状況にある。企業にとっては,雇用,賃金,福利厚生いずれも労働費用であり,端的に言えは雇用調整,賃金低下,福利厚生削減は,ひとつの設問に対する並列した選択肢にすぎないのである。

図5 企業福利厚生をめぐる近年の諸変化

2 フリンジからコアヘ

 では今後,日本企業の福利厚生が,どのような方向を目指すべきなのか。いくつかの可能性を検討してみよう。
 まず第1が「共同化/相互扶助システム化」の方向である。従業員の万一の場合の生活保障や老後保障,生活援助など弱者救済の分野では,これまでのように企業が費用負担し恩恵的に給付する基本形から,従業員や労働組合にも応分の負担を求める共同方式へと全面的に移行できないか。これは費用の効率化を図るだけでなく,ニーズに応じて全体的な給付レベルを維持あるいは引き上げることが可能性となる。さらに運営の主導権を従業員側に譲ることで多様化するニーズヘの対応に企業が必要以上に苦慮しなくてすむ。企業はこうした従業員間での相互扶助システムづくりへ積極的に協力,参画すべきである。そこには労働組合が独自に行ってきた福祉活動を統合することも可能となろう。これは従業員が対価を支払う前提という点では,市場でのサービス購入とも近いものだが,特定の対象者からなる閉鎖的な集団であるため,ちょうど企業の恩恵的給付との中間的な形態と考えられる。近年設立の進む共済会制度はその代表例で,従業員,労働組合と企業が会費と補助金という形で資金を拠出し合うことで,冠婚葬祭や傷病疾病等での経済的相互扶助やレクリエーション等のイベントなどが提供されている。こうした非営利型の共同組織が福祉的サービスの供給主体として最適ではないだろうか。企業はそのネットワークの核メンバーとして支援を行う立場に移行し,社会的な役割を果たせばよい。
 第2の重要な方向は「創造的組織づくり」への積極的な関与である。すなわち福利厚生が現在多くの日本企業が求めている創造的な価値を生み出す組織,職場つくりのための中核的装置を目指す方向である。
 まず既婚女性や高齢者,外国人,転職者など多様化した従業員層が求める多様なワークスタイルを許容し,支援するフレキシブルな勤務制度体系を福利厚生の枠組みの中で完成することが求められる。現在でも育児休暇,看護・介護休暇やボランティア休暇,リフレッシュ休暇といった諸制度が福利厚生の中で実現され始めているが,異質な従業員の多様なワークスタイルを受け入れ,その異質性を創造的な価値を生み出すベクトルヘと転換するには,まだ断片的なものであり目的意識も鮮明ではない。また勤務形態や労働時間制度は人事管理の領域であり,本来の福利厚生の対象領域でないとする考え方もあろうが,上記のような休暇制度が福利厚生として扱われる以上,無用な縄張り論を乗り超えて大胆に統合し,制度的な完成度を高めることが重要であろう。
 次に,創造的組織づくりに向けた福利厚生の役割はリスクテイクを行う個人への支援である。従業員の自己啓発,自己投資に対して積極的な支援体制をつくる必要がある。例えば従業員が自ら費用負担して国外留学し,新しい技術や知識の取得を目指すならば,福利厚生の中でその資金負担に対して低利融資を行うことは可能であろう。こうした従業員の自発的な教育投資が現在の業務と直接的な関連性がなくともよい。これまでのようなお仕着せの教育訓練ではパワーのある個の出現は期待できない。自らすすんでリスクをとろうとする果敢な従業員に対して組織がとのような対応をとるかが問われる時代である。
 近年では企業内ベンチャー制度を導入する大企業が増えているが,これも一種の福利厚生とみることができよう。事業創造という高いリスクに挑戦する従業員がストック・オプションなど成功報酬型のベネフィットを受け取ることによって組織は大いに活性化しよう。ただし福利厚生の枠組の中に包含させるには成功報酬型の方式をとることが不可欠である。失敗した場合にペナルティを課すといった実績主義型では,従業員のリスクテイクの誘因とはなりえず,福利厚生というソフトな持ち味を失ってしまう。
 こうしたケースのようなうな選択させれた特定の対象者であっても大きなリスクテイクを果敢に求める従業員には,そのリスクを軽減するための支援を行うべきである。厳しく選抜されたリスクテイカーがサクセス・ストーリーを実現するといった夢を福利厚生が組織に与えることができれば素晴らしいことではないか。
 このほか個の創造性が発揮されやすい快適な職場環境づくり,従業員間の良好なコミュニケーション,情報共有の場の提供など,従業負が賃金だけでは手にいれることのできない共有環境の構築などに対しても福利厚生が為すべき領域はひろい。
 このとき人事制度や教育訓練制度などと福利厚生の領域区分が暖昧になろうが,むしろそれらとはすすんで融合化し全体として次世代型の優れたマネジメント・システムヘと進化すべきであろう。
 賃金制度が能力主義化,実績主義化することで刺激的な動機づけを従業員へ行おうとしているがそれだけではおのずと限界がある。価値創造がなされる企業という場そのものが快適な環境であり,また創造性を刺激・尊重する様々な仕組みが用意されなければならない。そこに福利厚生にしかなしえない役割を見いだすことができよう。
 福利厚生がこのような創造的組織づくりへの方向性を明確に打ち出すことができれば,従業員,企業双方にとってもはやフリンジ・ベネフィットではなくコア・ベネフィットとなるに違いない。


主要参考文献
桐木逸朗『共済会運営方式の理論と実務』経営書院,1994年。
藤田至孝『企業福祉展開の理念と実際』労務研究所,1984年。
猪木武徳『日本の雇用システムと労働市場』日本経済新聞社,1994年。
橘木俊詔『ライフサイクルと所得保障』NTT出版,1994年。
日本経営者団体連盟『新時代の日本的経営』1995年。
社会経済国民会議「生涯総合福祉をめざす企業福祉の課題」1992年。


にしくぼ・こうじ 1958年生まれ。筑波大学大学院経営政策科学研究科修士課程修了。(財)生命保険文化センター研究室主査。主な著書に『所得保障とライフサイクル』(共著,NTT出版)など。経営学専攻。