論文データベース

[全文情報を閉じる]

全文情報
(著者抄録)
近年の労働基準法の立法史料研究が明らかにしているところによれば、労働基準法は制定の当初から、第2次大戦前の「要保護労働者」に対するILO諸条約および工場法の政策的路線と親和的な「労働の保護法」としての規定と、労働者の労働人格の尊重に象徴されるような普遍的原理を確保する規定や、労働契約および労働条件に関し国際的に通用する合理的水準の定めに見られるように「労働の基準法」としての規定を有しており、この意味で当初から二面的性質を内包している。労働基準法の「労働の基準法」としての性質を有する規定にはILO条約に範を求めたものが多く、他方労働基準法の「労働の保護法」である諸規定も同条約によってレベルアップされている。本稿は、労働基準法の時間外労働に対する法的規制の形成過程を、工場法前史から工場法の成立までとその改正および労働基準法の起草過程の推移に即して分析し、このような面から労働法史研究にひとつの分析視角を提示しようとするものである。


(論文目次)
I はじめに
II 「労働の保護法」と「労働の基準法」
   1 労働基準法の二面的性質
   2 時間外労働法制の二面的性質
III 労働基準法の立法過程と国際労働条約
IV 時間外労働に対する法的規制と「工場法モデル」
V ILO条約における時間外労働の規制原則
   1 時間外休日労働に関する一般原則
   2 日本に対する特例
VI 労働基準法における時間外休日労働法制の形成
   1 時間外労働事由の抽象化と軟質時間制への転換
   2 時間外労働協定の主体論
   3 軟式時間制への転換と協定当事者論の結合推論
   4 割増賃金支払義務の問題

 I はじめに

 1990年代は労働法分野でも戦後改革とならぶほどの法制度の改革が行われ,その方向はなお終わっていない。そこであらためて戦後改革をふりかえり,どのような議論が交わされたかを明らかにして,今日学びうることを検討すること,これが本誌編集委員会から筆者に与えられた課題である。特に,「労働時間の法的規制を軸に,工場法成立から労働基準法の制定までを中心に,できればその後の労働基準法の改正までを視野に収めながら」考えよという注文である。相当な難題であるが,労働時間の法的規制を軸にということであるから,そこに焦点をあてて考察をすすめてみよう。


 II 「労働の保護法」と「労働の基準法」

 1 労働基準法の二面的性質

 労働基準法は昭和22年4月7日に法律49号として公布され,同じ年の9月と11月の2度に分けて施行され,施行にあたっては多少の規定に猶予期間が設けられた(注1)。同年9月には労働省が厚生省から分離独立した(労働省設置法,昭和22年8月法律97号)。戦争中,厚生省には軍需生産体制(「勤労動員体制」)と労務管理(全国の工場,事業場に上から組織された「産業報国会」の統制監督)とを担当していた勤労局があり,敗戦後はそれが勤労局と労政局とに分けられた。その労政局の管理課が,昭和21年3月「労務管理行政という戦争中のイメージを一掃して,新しく国際水準の労働保護行政を打ち立てたいという願いをこめて」,労働保護課と改名された(注2)。労働保護課はこのころから本格的に労働基準法の草案づくりにとりかかるのであるが,それを実際に担った先導者が「労働保護行政を打ち立てたいという願い」を回顧しているように,労働基準法は「労働保護」という観点(それは前身の工場法制定を推進した伝統的観念でもあった)(注3)で制定準備が行われた。おそらく,そうした労働保護課の人々の使命感が,生活の窮乏に迫られた騒然たる労働事情を背景にしながらもあちこちに高い理想をもりこんだ草案起草という困難な仕事を支えたようにも思われる。
 労働基準法は労働保護課の十数人のスタッフによって昭和21年3月から資料収集や条文構成が行われたが,はじめは非公開の作業であり,その間草案の名称は一貫して「労働保護法」であった。しかし,作業開始の約6カ月後に内容がはじめて国民のまえに示されたときには,草案は「労働基準法」と命名されていた(注4)。こうした「労働保護法」から「労働基準法」への変化は単に法律の名称の変更にとどまらないで,その法思想的基盤(観点)の発展を内包するものであることは,すでに一連の労働基準法立法史料研究によって描き出されているので,本稿では後にのべる点と関連する範囲で簡単に触れておくことにしよう(注5)。
 中窪教授は,「自由契約に放任しておいては,労働者側というものは弱くなって不利な条件に追ひこまれていくものである。それを人道上放置しがたいとか,社会制度上放置しがたいとか,その他公益上の観念から放置しがたい一線があるから,……それを保護するために一線を引くといふ意味の法律」(昭和21年7月第1回労務法制審議会総会における労働保護課長の発言)を性質上「労働保護法」といわれる(注6)。
 これに対して同教授は,女子,年少者,鉱夫,船員,労災被災者といった特に不利な条件に追いこまれやすい特定の労働者だけでなく全産業の労働者を対象にし,労働条件を国際的な水準に引き上げて,労働条件に関する「普遍的かつ合理的なスタンダード」として最低基準を確立しようという観点に立ち,また封建的拘束を根絶し,自由で対等な労働関係を実現しようという「労働者の人権」の観点に立って立法される法律は性質上「労働基準法」というべきである,とされている。
 こうした内容を含んで,起草審議が「労働保護法草案」から「労働基準法草案」へ展開を遂げるのは,中窪教授の指摘によれば,労務法制審議会(労制審)総会の冒頭で(昭和21年7月22日),「労働者側委員から『保護』という言葉は労働者を弱者,劣後者としか見ないものであり新憲法の精神に反するとの批判」のあることが伝達され,同会議の委員のなかからも同様の指摘がなされたからである。
 たしかに,そのとおりでもあるが,私は同じ趣旨を別の事情からも根拠づけたい。というのは,当時すでに憲法草案で内容が固まっていた「健康で文化的な最低限度の生活」の保障理念に対して,「働く人の最低基準は,社会保障の最低基準より高くなければならない」,「それには(憲法25条と:筆者)表現が一つであっては困る」という主張が比較的早い時期から起草作業者らの間に生まれており,それが先の労働者側委員の発言もあり,「末弘厳太郎先生が小委員長でしたが,それではこれは原案のままワイマール憲法の表現を残そうということで第1条に『人たるに値する生活を営むに足る労働条件』というのが残った」,という経緯に着目したいと考えるからである。いわば労働条件の,特別保護が必要な特定の労働者を適用対象にするだけでは収まらない労働関係の普遍的理念への模索が当初から底流にあり,そのことが労制審の折の労働者側代表からのいわば直接的刺激によって,労働憲章として定位置を確保し,「労働保護法」であり,同時に「労働基準法」としての実質を内包する法律になったとみることができる(注7)。
 この点は重要な点であるのでいま少しこの間の事情をのべておこう。労働基準法の起草作業者は,作業開始後間もないころ,労使から「法律の立て方をどうするか」という質問を受けており,憲法(27条2項。当時は25条2項)でいう「勤労条件の基準」を「労働者の保護に必要なる最低の基準を定める」ものとするか,それとも「労働条件とはかくあるべきものであるといふ標準的な規準を作るものであるか」(別言すれば「労働条件の基準を狙う法律を作るか」)の,両方向の考え方があると問題所在を明確に認識して起草作業に臨んでおり,こうした問題を彼らは「法律の立て方をどうするかという根本問題」と表現していた(注8)。
 労働基準法は強いていえば「労働保護法」たらんとしながら,社会的必然として,「労働基準法」たる性質をも内包するにいたった。筆者は,労働基準法を「労働の保護法」から「労働の基準法」へという法的構想で再把握することが,労働基準法にヴィヴィッドな将来像(存在感)を与えうるものだと確信するのである。まさしく労働基準法は,今日,中窪教授のいわれる先の「労働の基準法」たる観点に立って,労働契約および労働条件に関する法的規制方法を雇用社会の変化に対応させ,どう発展させるかという具体的課題に直面しているといえよう(たとえば,労働基準法を公法的規制法規とともに実体的・手続的に民事的強行法規の性質のみの規定が併存する法律として再構成すること)(注9)。

 2 時間外労働法制の二面的性質

 以上のべた点を労働基準法の時間外労働に関する法的規制との関係で整理するとつぎのようにいうことができるであろう。
 労働基準法の時間外労働に関する法的規制のうち,年少者の時間外休日労働を禁止し,女子に関し時間外労働を制限し休日労働を禁止した規定(昭和22年法律49号の60条および61条)は,いわゆる「要保護労働者」の就業保護に関するILO諸条約(詳細は省く)および工場法時代の政策路線の上にあるものであり,性質上,「労働の保護法」としての法的規制である(60条は平成9年法律92号により修正される前の60条,61条は同法により削除される前の64条の2に該当する)。
 これに対し,事由,対象義務,期間および限度を限定しないまま使用者が労働者に時間外休日労働をさせる場合に関する規定(昭和22年法律49号の36条)は,使用者が労働者に法定労働時間を超えて労働させたり,休日に労働させる――臨時の――事実上の必要が生じうること,それは一般的には否定することをえないものであって,一定の法的対応が必要であることを前提にしたものである。同規定は時間外休日労働の事由,対象業務および限度等を決定する労使の自治的,手続的要件を定めたものであり,基本的には,「労働の基準法」としての性質の規制であったといえよう。労基法36条は,平成9年法律92号により女子の時間外休日労働を制限していた規定が削除されたため,満18歳以上の女子に対しても――大幅な修正(平成10年法律112号による)のうえ――男性労働者と区別されることなく適用されるにいたったことは周知のとおりであるが(施行は平成11年4月1日),同条はこのことにより一層,時間外休日労働に関する普遍的かつ合理的なスタンダードとしての「労働の基準法」たる性質を強化したものということができよう。
 時間外休日労働に対して使用者の割増賃金支払義務を定めた規定(37条)は,それぞれ「労働の保護法」としての,または「労働の基準法」としての時間外休日労働の法的規制の実効性を確保するものといえるから,それ自体二面的性質を有する規定であるといえる。


 III 労働基準法の立法過程と国際労働条約

 労働基準法の立法過程では「労働条件に関する『普遍的かつ合理的なスタンダード』」は,進んで国際労働条約に求められた。そのことは労働基準法の基本的性質を「労働保護法」的観点で考えるか「労働基準法」的観点で考えるかにかかわりなく,そういえるのである。
 国際労働条約というのは,当時採択されていたILO条約・勧告である(個々の立法例としてはイギリス工場法,フランス労働法典,アメリカ公正労働基準法,ドイツ労働法,ソ連邦労働法等が参考にされた)。前出のように,労働保護課の改名自体が「国際水準の労働保護行政」の樹立を目指したものであったというのであり,労働基準法の制定作業のキック・オフ・ミーティングの素材になった事務当局案(松本岩吉氏の書かれた「労働保護法作成要領」昭和21年4月11日)も,四つの「法制定ノ必要性」の一つに「労働条件ノ最低限度ヲ国際的標準〓(迄(マデ))高メルコト必要ナリ」としているのであるから,いっそうそれら国際条約が草案起草作業の大きな支えであったことは明らかである(注10)。
 そこで,戦前から戦後への雇用関係法制の変遷,すなわち工場法から労働基準法への橋渡しを国際労働条約が担ったものと大ざっぱにとらえて,労働時間法制の推移の意味を,時間外労働の法的規制に焦点をあてて考えてみることにしよう。


 IV 時間外労働に対する法的規制と「工場法モデル」

 野田教授は,労働基準法立法史料研究のなかで,労働時間に関する「『工場法モデル』ともいうべき規制タイプ」を描き出し,時間外休日労働に関しては,その「事由が定型的であり,4パターン,すなわち(1)やむを得ない(避けることができない)臨時必要ある場合,(2)その他臨時必要ある場合,(3)業務繁忙の場合,(4)交替制の場合を基準にして,これに時間や回数限度を設けるか否か,行政官庁の届出または許可のいずれかのバリエーションがあるにすぎない。」と整理されている(注11)。
 (1)はいわゆる天災事変の非常事由による時間外労働で,主務大臣が直接事業の種類,地域をかぎって工場法の就業時間規制の適用を停止するものであり(法8条1項),(2)は天災事変以外の不可避の非常の事由(避クヘカラサル事由ニ因リ臨時必要アル場合)による時間外休日労働で,これには行政官庁の許可を必要とした(法8条2項)。(3)は単に「臨時必要アル場合」に行う時間外労働で,行政官庁へ届けることにより1月につき7日,1日につき2時間(要するに月あたり14時間)の延長を認めるものである(法8条3項)。(4)は時間外労働の法制度というより,一定の事業(器械生糸製造,紡績,指定された輸出絹織物業務)について,特別に1日の就業時間の法定限度自体を法施行後15年以内の一定の期間,14~13時間まで延長することを認めたものである(法3条2項,大正5年施行規則3条。大正12年改正工場法で1日の就業時間の制限は11時間に1時間短縮され,その後大正15年の同施行規則3条により施行後約5年にかぎり,2組交替制労働の場合を除いて,12時間まで延長を認めた。現行労基法になぞらえれば40条の特例に似ている)。
 このほかに工場法は,(5)「季節ニ依リ繁忙ナル事業」に対し,行政官庁の認可を受けて1年につき120日以内の期間で,1日1時間以内(すなわち年間120時間)延長できるとしている(法8条4項)。
 さらに,(6)大正12年改正法では,急速に腐敗または変質しやすい原材料の損失を防ぐ必要がある場合には,前記(2)の事由に,新たに継続4日以内・1月に7日(すなわち月あたり14時間)以内の時間外労働が行政官庁の許可なしに認められた(法8条2項但書新設)。
 以上の工場法の時間外労働に対する法的規制の特徴的な点をあげてみるとつぎのとおりである。
 第1は,野田教授の指摘されるように,工場法は前出(1),(2)の現行の労基法33条に該当する非常災害事由による時間外労働の場合を除いて,「硬質労働時間制」(時間外労働の上限を規制する法制)をとっていることである。この点に関しては,工場法の制定経緯にも注目しておく必要があろう。
 同法が最初法制化を目指して法案のかたちをとった当時(明治31年〔1888〕),就業時間の延長については「特別ノ事由」があるときはできるとするのみであったが,その後1日12時間以上就業させるときはその時間および就業の種類を制限する方向に修正され,硬質労働時間制の萌芽がみられた。そのつぎに出された「法案要綱」(明治35年〔1902〕)では前出(1)の事由のほかに,「臨時事業ノ繁忙」の際に1年間90日を限度に1日2時間以内(すなわち,年間では180時間以内)の延長を認めることにしている。
 第26帝国議会(明治42年〔1909〕)に提出され廃案になった「工場法案」では,前出(1)の事由による時間外休日労働のほか,「臨時事業ノ繁忙ナル場合」は行政官庁の許可を得て就業時間を延長し休暇(月2回の休日のこと)に労働させることができるとされたが,この場合工業主は毎月5日以内・1日2時間以内の延長(月あたり10時間)までは届出だけで延長できた。
 最後の,第27帝国議会(明治43年〔1910〕)に提出された「工場法案」は,「臨時ノ必要」により届出のみの簡易の手続で就業時間を延長できる日数を月5日(10時間)から7日(月あたり14時間,年間では168時間が上限になる)に増やした。また,時間外労働の事由に新たに前出(5)の前身となる「季節ニ依リ繁忙ナル事業」を加え,前記35年「法案要綱」で認めた1年90日の限度を1年120日に増やして延長を認めた(1日1時間は不変,したがって年間120時間になる)。
 このようにして,工場法の時間外休日労働の上限規制の法制はできあがった。法案形成過程の特徴は,時間外労働の事由の類型化が進み徐々に具体化する一方で,上限の規制を緩める方向に向かったことであった。それは,事務当局の農商務省が行政官庁(警視総監,道庁長官,府県知事),商業会議所および工業団体その他から聴取した意見のなかでも,法案中の「就業時間ノ制限及休憩時間休日ニ関スルモノ」の修正意見がもっとも多数を占めていたことに象徴的に表されているように,地方行政庁や各地の商業会議所の抵抗がはなはだ強く激しかったからである。
 しかし,今日的視点で工場法案がかたちを整え始めた明治31年(1898)以来の100年を超える法制の歴史をみれば,時間外労働の上限を規制しようとする政策の基本は変わらなかった,というより法案の立案者らは変化させることを拒絶しとおしたという点が重要である(注12)。
 第2は,時間外労働の不可避の事由について行政官庁の許可を得る手続(前出(2)),特に臨時の必要に基づいて行う行政官庁への届出(前出(3)),および季節的繁忙の事由に関して行政官庁の認可を受ける手続(前出(5))に関し,それぞれ許可,認可の基準,その申請手続(様式)および届出事項(様式)の詳細が一切施行規則(大正5.8.3農商務省令19号,大正15.6.7内務省令13号)等に定められていないことを指摘できる。許可,認可及び届出を受理するか否かはすべて行政官庁の裁量にゆだねられた点が重要である。この点に関しては,われわれはわずかとはいえ決然としたつぎのような時間外労働の各事由に関する法的解釈を知ることができるにとどまる(注13)。
 すなわち,「臨時必要アル場合」(前出(3))とは,「現実に注文輻輳して且人員増加の困難なる場合」を含むが,他方「見越製造に依りて多忙なる場合」を含ませてはならない。「必要の有無は単に工場主の認定に依りて定まるもの」ではなく,「客観的の認定に依りて決定」されなければならない。したがって,たとえ届出がなされた場合でも,「若し工場主の認定にして不當なる場合」は法第20条の制裁(500円以下の罰金刑)を免れることはできない。よって「其の濫用は深く之を慎まさるへからさるなり。」
 「季節ニ依リ繁忙ナル事業」(前出(5))に適合する事業は概ね,生糸製造業,製茶業,果物・野菜・ある種の貝等の缶詰に関する業務とされた。
 「避ク可カラサル事由ニ因リ臨時必要アル場合」(前出(2))は,時間外労働だけでなく休憩,休日の規定の適用を排除できる点に前二つの時間外労働事由と異なる特徴があるが,その事由は単に工業主が最大の注意を払っても避けることのできない事由(主観説といわれる)と解すべきではなく,発生の原因が企業の業務の執行範囲に属さず,かつ通常生ずる事故の範囲を超えて重大な勢いをもって生ずる事件をいう,とされている(客観説といわれる)。具体的には,たとえば,汽缶の破裂事故が発生し修繕の必要が生じたような場合で,就業時間の制限の除外の取扱いを受ける必要のある,臨時的な事由でなければならないとされている(現行労基法では33条の非常事由による時間外休日労働の場合にあたる)。
 後に,「避ク可カラサル事由ニ因リ臨時必要アル場合」に例外的に行政官庁の許可なしに就業時間を延長できるある種の事由(急速に腐敗,変質しやすい原材料の損失を防ぐために必要な場合)が,一定の枠内で認められるようになったことは前言した(大正12年改正工場法,前出(6))(注14)。
 第3は,時間外休日労働に対する賃金支払義務の定めが存在しないことである。延長時間または休日労働に対して通常の時間あたり,または労働日あたりの賃金(基礎的賃金)は支払われたと思われるが,割増賃金の支払義務に関する定めのないことは,かえって就業時間法制のいわゆる「工場法モデル」の著しい特色のひとつといわなければならない。しかし,実際には就業時間の早出・延長および休日の就業に対して一定率の割増賃金を支払う例が多かったようであり,この点は明らかに,工場法は日本の当時の工場労働の実情をあえて反映させようとしなかったものということができるであろう(後述)(注15)。
 最後に,いまひとつの特徴をあげておけば労働側を代表する勢力は法案形成過程にまったく登場していない(したがって,時間外休日労働規定の内容への意見聴取の対象にもされていない)ことであろう(注16)。


 V ILO条約における時間外労働の規制原則

 法定労働時間として8時間労働の原則を世界的に樹立したILO条約(「工業的企業における労働時間を1日8時間,1週間48時間に制限する条約」1号,1919年)は,日本政府が工場法の施行をようやく決意したとき(大正5年9月1日〔1916〕)から約3年後に採択されており,本条約を批准する加盟国は1921年7月1日までに規定を実施し,実施に必要な措置をとるべきこととされていた(19条)。同条約は,日本の立場から見ると本則(1~8条)と日本に対する例外規定(9条)とからなるが,その特例の実施時期は1922年7月1日までと定められた(9条g項)。1919年当時の工場法はこの特例の水準にも著しく劣るものであったことはいうまでもない(後述)。ともかく,ILO総会において日本政府は特例的扱い(原則規定の適用除外)を主張し条約中に織り込むことを得たが,工場法の改正時期(大正12年〔1923〕)は条約のいう実施期限を守っておらず,改正の内容,施行時期(大正15年〔1926〕)のいずれの点からも国際的信義をはなはだ逸脱したものであった。
 以下,同条約が工場労働者の時間外休日労働にどのような法的規制を行うべきものとしていたかについて簡単にふりかえっておこう(注17)。

 1 時間外休日労働に関する一般原則

 第1に,使用者は,災害またはその虞がある場合(工場法の前出(1)),および機械・工場設備に緊急の処置が必要な場合(同前出(2)),それに不可抗力の場合には,重大な障碍を除去するに必要な限度で,1日8時間・1週間48時間(以下,法定労働時間という)を超えることができる(条約3条)。
 第2に,使用者は,交替制による継続就業が工程の性質上必要な場合は,平均1週間56時間の限度で,法定労働時間を超えることができる。これは工場法では前出(4)の場合にあたる。ただし,条約では週休日に代わる代償休日を保障しなければならないとされている(条約4条)。
 第3に,(i)事業の一般操業のための労働時間の制限を超えて就業する必要のある準備もしくは補充作業,または(ii)本質上間歇的作業に従事する労働者に対しては「恒久的例外」を,また(iii)業務繁忙の場合には「一時的例外」を,定めることができる(条約6条1項)。以上のうち,(i),(ii)は工場法に規定のないもの((ii)鉱夫労役扶助規則・大正5.8.3内務省令21号に見られる)であるが,(iii)の業務繁忙(aubergewohnlicher Haufung der Arbeit)は,工場法の前出(3),(5),(6)の各事由が該当するであろう。
 以上が条約の時間外労働の事由に関する定めであるが,労働者に時間外労働をさせる場合の手続等に関してもつぎのように定められており重要である(注18)。すなわち,上記の恒久的例外および一時的例外は,使用者・労働者の団体が存在するときはこれら団体と協議したうえで設けるべきこと(条約6条2項),である。
 第4に,使用者は,上記第3にのべた労働時間の増加時間に対しては普通賃金率の最低1.25倍の割増賃金を支払うべきこと(条約6条2項)。

 2 日本に対する特例

 ILO1号条約の定めた日本に対する特例(条約9条)は,工場法の適用対象を15人規模から10人規模へ拡大したうえで,8時間労働制の原則(8時間労働を前提にした変形労働時間制も含む)について認められたものである。たとえば,特例は1週間48時間制は坑内労働にのみ適用し,一般には15歳以上の労働者に男女の別を問わず1週間57時間,生糸産業は1週間60時間とすることや,一切の労働者に対し「1週1回継続24時間の休暇」を与えるべきことを定めていた。
 しかし他方,時間外労働の事由および実施手続きについては特例規定は何も定めておらず,上にのべた一般原則が適用されるのである(大正12年改正の工場法は適用対象を旧法の職工数15人規模の工場から10人以上規模の工場に拡張し,この点では条約の定めに対応した)。


 VI 労働基準法における時間外休日労働法制の形成

 労働基準法における時間外休日労働法制の形成過程の特徴を挙げるとすればつぎの点であろう(注19)。

 1 時間外労働事由の抽象化と軟質時間制への転換

 時間外休日労働の事由について労働基準法の草案起草の初発の段階(労働保護法案)においては工場法の定め(IVにのべた時間外休日労働の事由・前出(1)~(3),(5)および(6))がほぼそのまま踏襲された。しかし,災害等非常事由に基づく場合(IVの前出(1),(2))を除いて,ほどなくそれら個々の事由は草案から消え,規定上「限定なし」の状態になった(注20)。
 時間外労働の上限の規制についても工場法の立場を踏襲した草案初期の規定は早々に姿を消した。しかし,極東委員会対日理事会の席上ソヴェト連邦代表デレヴィヤンコ中将が,占領下の日本の労働関係立法のあるべき方向,内容について詳細かつ具体的な22項目の勧告(うち17項目は労働保護に関係する)を行ったいわゆる「デレヴィヤンコ事件」(昭和21.7.10)を挟んだ前後の二つの草案には,時間外労働の上限を「1日3時間,1週間9時間,1年150時間」とする規定が設けられた。しかし,第1期労務法制審議会(昭和21.7.22~8.7)の議論を経て作成され国民にはじめて公表された草案(第6次案,昭和21.8.6)からは削除され,その後は,現行労基法36条1項但書に見られる有害業務に関する1日2時間の制限は別として(注21),時間外労働の上限規制は一般的には再び日の目を見ることはなかった。
 こうして,工場法についてみてきた政策的立場(前出IV)と対照的に,労基法では軟式時間制が確たるものとなった。つまり,労基法がその制定過程において硬式時間制から軟式時間制へと性質変化したのは労務法制審議会の審議の過程で行われたのであり,その政治的,経済的,労使関係的真因をわれわれは検証する必要があるが,この点は野田教授の分析に譲る(注22)。

 2 時間外労働協定の主体論

 時間外労働協定の労働側当事者は,草案起草段階では,最初は労働組合かまたは多数代表者であり,その後若干の経過を経て,多数代表者には労働者の過半数により支持された者でなければならないとの要件が初期段階から加えられた。労働組合に同様の要件が付されたのは,立法作業の終盤になって,第2期労務法制審議会が最終答申(昭和21.12.24)に向けて大詰めの審議にはいってからであった(昭和21.12.20,第9次案)。
 時間外労働協定の形式も,当初は締結主体が労働組合か多数代表者かを区別せず単に「書面協定」であったが,いったんは労働組合の場合は協約,過半数代表者の場合は書面協定に区別され,最終的に「書面協定」に統一された(注23)。

 3 軟式時間制への転換と協定当事者論の結合推論

 ILO条約(1号)には1日8時間・1週間48時間を超えて行うことができる時間外労働の上限を直接規制する規定(実体規定)は存在しない(注24)。しかしながら,同条約の時間外労働規制に関する特徴は,使用者および労働者の団体の存する場合はこれら団体と協議の上実施すべきであるとするその手続規定にある(条約6条2項。1921年採択された「工業的企業に於ける週休の適用に関する条約」14号にも週休制の例外を定めることができる場合について同趣旨の定めがある。4条参照)。
 1号条約は8時間労働制の原則の例外を定めうるいくつかの類型を設けているが,労使の団体協定により定めることのできる例外は,いまのべた業務繁忙を理由とする時間外労働のほかは,交替制によらず3週間を超える期間を定めて行う変形労働時間である(条約5条)。
 ところで同条約は,これらとは別個に「使用者の及労働者の団体若しくはかかる団体のない場合に於いては使用者の及労働者の代表者間の協定」により,1週間のうちある労働日の労働時間を8時間未満とすることにより他の労働日の労働時間を8時間を超える時間とすることができる(ただし,延長時間は1時間の制限を超えることをえない)と,今日的用語でいえば1週間単位の変形労働時間制を定めていた(条約2条b項)。
 労使の団体協定(すなわち労働協約)と区別された「使用者の及労働者の代表者間の協定」(いわゆる労使協定)の原形はここだけに見いだすことができるもので,これ以外にはどこにも見いだすことはできない(「原形」といったのは上記「代表者」には労働者の「過半数を代表する者」との制限が付されていないからである)(注25)。そして,ILO1号条約が条約自体に時間外労働の上限を直接規定しなかったのは,その実施を「使用者の及労働者の代表者間の協定」(いわゆる労使協定)にはゆだねず,厳格に労働者団体(つまりは労働組合)だけにゆだねたからだろう。
 ここで大胆に筆者の推論をのべれば,日本の労働基準法の草案起草者は,その後の何度か法改正を重ねて労働条件および労働契約の双方の分野で重大な役割,機能を担うにいたっている「労使協定」の締結当事者である労働者の過半数代表のアイデアをここから得たものと考えられる。
 しかし,このことが真実であるとすれば,日本の時間外休日労働の実施に関する法的枠組みは,労働協約に託されるべき法的使命と労働者代表の協定に託されるべき法的使命とを峻別して規定した国際労働条約の立場から離れ,労働者代表協定を拡大して活用するにいたったものと評価せざるをえない。
 このようにして,われわれには新しい研究課題が課せられているように思われる。その一は,ILO1号条約の採択当時,国際労働機構において指導的役割を演じていた第1次大戦後の欧米諸国において,労働組合とは別個に,「使用者の及労働者の代表者間の協定」とはいかなる実体を意味するものと考えられていたのであるかを歴史的に解明することである。
 その二は,元来労働協約に託されるべき法的使命を担うべく労働基準法に登場させられた「労使協定」たる時間外休日労働協定を,「労使自治の実質あるもの」とするための法的枠組みや理論を立法論を視野に入れて精密に構築し,他方これを遵守尊重する労使の気風を醸成することである(注26)。1998年労基法改正の折に労使協定の代表者である労働者の過半数代表者の被選任資格に関して規定された省令(労基則6条の2)は,それのみでは到底この使命に耐えられるものではないことは覆いがたい事実であろう。

 4 割増賃金支払義務の問題

 ILO1号条約採択の後に行われた日本の工場法改正(1923年)は,労働時間の原則およびその延長規制の点において同条約が特に日本のために認めた「特例」にもなお及ばない水準であったことは前言した。そのことを措いても,筆者は今日でもなお特別に腑に落ちないのは,改正工場法が延長時間に対し割増賃金を支払うべき原則(条約6条2項)を規定していなかった旧法の立場を,依然そのまま維持した点である。
 使用者の割増賃金支払義務は労働基準法になってはじめて規定されはしたが,今日の問題はこの原則の適用が危機的状況にあることである。割増賃金制度は日本の雇用関係法の建前や実際においてもっとも疎まれている制度のひとつなのであろうか(注27)。
 近年しきりに喧伝されている「賃金は働いた時間によってではなく,その成果によって支払う」ことや「年俸制」の仕組みは,賃金の計算・決定の問題である。しかし,そのことと,使用者が法定労働時間を超えて労働した労働者に対し,当該賃金制度に即して「通常の労働時間または労働日」の賃金額を算出し(もちろん,純粋の「請負歩合給」=労働成果賃金であってさえ),割増賃金を支払わなければならない義務(37条)とはいささかも関係ない(労基則19条1項5号,6号をみよ)。
 労働時間法制は秩序ある労働関係の基礎の基礎であり,賃金とは別個独立に実現されなければならない法的価値であるとの認識を腐朽させてはならないし,日本を工場法の時代に戻してはならない。
 この点は日本の労働基準監督署の方々が「護民官」的情熱(下井隆史教授のことば)をもって取り組んでいただきたい重大な問題である。この際いま一度,使用者は労働者に法定労働時間を超えて労働させた一切の増加時間を記録することというILO条約1号(条約8条3号)の意義を基本から再確認し,そのためになんらか公法的規制措置の検討を早急に開始する必要があることを付言して本稿を閉じることにする。

(注1)有泉亨(1963)8頁以下,立法資料51巻(1996)8頁参照。
(注2)寺本廣作『ある官僚の生涯』(非売品,1976)91頁。同氏は労働保護課の初代課長。
(注3)岡実(1917)133,138,1115頁等を参照。
(注4)政府は昭和21年7月労務法制審議会総会に対して「労働保護に関する法律案」(傍点は引用者)の制定を諮問し,同審議会は小委員会を組織して集中審議をし,同年8月「労働基準法草案」を作成した。この草案は起草段階としてはすでに「第6次」に至ったもので,これが新聞に公表され(同年8月26日),労使各界のリーダーたちはこれを素材にして翌9月に大規模に,長期間にわたって開催された「公聴会」(同年9月5~17日)に臨んだ(渡辺章(2000)10頁以下,23頁)。
(注5)野川忍(2000)57頁以下,中窪裕也(2000)132頁以下,土田道夫(2000)165頁以下,渡辺章(2000)17頁以下。
(注6)中窪裕也(2000)133頁。立法資料52巻(1998)448-449頁(昭和21年7月第1回労務法制審議会総会における労働保護課長の発言)で補ってある。
(注7)寺本廣作「労働基準行政の今昔」。松本岩吉(1981)所収315頁。「人たるに値する生活を営むに足る労働条件」の理念は,起草が秘密のうちに進められていた第2次案(昭和21年4月24日)においてすでに冒頭におかれており,その段階では「労働保護法」の名称と併存していた。法案の名称を「労働保護法」ではなく,「労働基準法」とすることとしたのは,「松本ノート」によれば昭和21年8月4日に開催された最後の労務法制審議会小委員会においてであり,最終的に確定したのは同委員会総会(同年8月7日)の場における末弘委員長発言である(立法資料52巻503頁,509頁。なお,78頁(土田道夫解説)参照。土田道夫(2000)は本文にのべたようなコンテクストにおいて第5次案の段階(昭和21.7.26,労務法制審議会第1回総会付議草案)で「労働条件対等決定の原則」(2条)が設けられたことを重視されている(165,169,173頁以下)。
(注8)立法資料52巻(1998)448-449,503-504頁参照。ちなみに,労働保護課が労使から「法律の立て方をどうするか」との質問を受けたのは労務法制審議会の審議の始まる直前の昭和21年7月19日(労働側),20日(使用者側)であり,本文でのべた労働保護法たるべきであるとの意見は労働組合側の主張であった(渡辺章(2000)22頁参照)。
(注9)土田道夫(2000)は,労働基準法の制定過程には「保護法型立法政策」とならんで「労働条件の実質的規制政策」ともいうべき事項が論議の対象になっているとして,労働条件対等決定の原則のほか,時間外労働の上限規制,退職手当規制,労働条件紛争処理機関および就業規則に関する労働者参加政策等をめぐる論議を具体的にあげている(165頁以下)。ほぼ同様の問題認識の下で現行労基法13条,20条,93条の立法論議を分析している野川忍(2000)57頁以下を参照。
 西谷教授は,比較的早い時期から,ドイツにおいて労働条件の最低基準を公法的強制手段によって実現しようとする狭義の労働者保護法(Arbeitsshutzrecht)と,もっぱら私法的な強行性をもってそれを実現しようとする労働契約法(Arbeitsvertragsrecht)とを区別する立法の手法から,日本の労働基準法についても規制対象事項により公法的強制手段によるべきもの(「労働時間,安全衛生,最低賃金など」)と,私法的強行性を通じて保護の実現に重点に置いてよいもの(「信条等による差別や女子の賃金差別(労基法3,4条)」など)とがありうることを主張されている(西谷敏「労働者保護法における自己決定とその限界」,松本博之=西谷敏編著『現代社会と自己決定権』227頁以下(信山社,1997),「労働法規制緩和論の総論的検討」季刊労働法183号16頁以下(1997))。
 筆者の本文にのべた見解はもちろん同教授の先駆的問題提起に多くの示唆を得,また教えをいただいているものであることをここにのべておく。
(注10)第92帝国議会(昭和22年3月6日~27日)での厚生大臣の法案提案理由,政府が審議に際し第2次大戦終結までに採択されたILO条約・勧告の相当量の分量の邦訳を資料のーつとして提出していること,そのほか制定作業に直接あたった行政官のいろいろの場での証言にも明らかにされている。「労働基準法安定案理由の説明要旨」につき立法資料54巻(1997)496頁。初代労政局長吉武恵市氏は「労働保護立法については,従来の工場法程度ではおさまらないし,また良くして行かなければならないだろう」「どのようになるかわからないが,一応国際労働条約があるのだから,それを項目別にひろってみようということになった。」と回顧されている(「労働基準」昭和42年9月号)5頁。同趣旨の証言として,寺本廣作(1950)146頁,野村平爾ほか「労働基準法の制定と展開(座談会)」季刊労働法68号(1968.6)169頁(村上茂利氏発言ほか),廣政順一郎(1979)46頁,松本岩吉(1981)34頁,54頁。
(注11)野田進(2000)84頁。(1)~(3)は工場法(明治44年法律46号)8条に,(4)は同3条2項に規定されている。工場法は10人以上の職工(大正12年改正・同15年10月施行以前は15人)を使用する工場,その他勅令で指定する性質上危険・有害の虞ある工場に適用され,法定労働時間制は女子および16歳末満の年少者(同改正以前は15歳末満)のみを対象にし,広い意味の法定労働時間制度として,「就業時間」(就業時間が6時間を超える場合は30分。10時間を超える場合は1時間の休憩時間を含む)の上限は1日11時間(同改正以前は12時間),月当たり原則2日の休日制を定めていた(年少者・女子に対する深夜業の規制に関しては本稿では省略する)。
(注12)岡実(1917)16,30,43,48,52,69-70,72,80頁参照。
(注13)岡実(1917)479頁以下。解説文はひらがなに改めてあ
る。主務大臣が就業時間規定一般の適用を停止できるとする前出(1)の非常事由の意義に関する部分は省略する。
(注14)松澤清『改正工場法論・就業制限論』399頁(有斐閣,1927年)によれば,魚介,果実,菌類,惣菜,繭等を扱う事業をいう。
(注15)二神恭一「明治・大正期における日本産業の労働時間制度」早稲田商学317号(1986)。農商務省商工局が明治30年(1897)に刊行した「工場及職工ニ関スル通弊一班等」を検証し,当時すでに「居残及夜業ニ対シ普通時間割給料二割増ヲスルモノ多シ」とある個所を紹介し,「この時間外手当は居残1割増,徹夜2~5割増ほどのものであったといわれている。当時の労働者の低い賃金からして,今日と同様に,この時間外手当を目当てにした早出,残業,夜業が行われていたのではないか。」と指摘されておられる(115頁)。田中慎一郎『戦前労務管理の実体.制度と理念』(日本労働協会,1984年)は巻末に明治期の「王子製紙職工規則その他規程の抜粋」が収録されている。それによれば「定時休日出勤」には「五割ノ割増金」,「定時間ノ外早出,居残,呼出」に対しては「日給時間五割ノ割増金」を支給するとの定めがある(567頁)。大正期,昭和期の規程もそれぞれ同様の率の割増賃金の支払を定めている(560頁,552頁)。ちなみに,昭和11年の同社の「職工賃金・手当支払総額(全社)」の6.0%は「定休及残業料」である(同書77頁)。
(注16)岡実(1917)も「餘論」のなかで「労働者ノ声ナクシテ實施セラレタル工場法」と沿革をのべている(143頁)。もっとも,明治30年(1897)に産声をあげた「日本労働組合期成会」は,先にのべた明治31年(1888)の工場法案に対して,同年10月,「工場法案に対する意見書」を採択し,法案作成にあたった内務省工務局長および商業会議所等を数回にわたって訪問面談するなどの陳情行動を起こしている。期成会の意見の詳細な紹介は省略するが,10歳未満の幼年者の使用禁止,14歳の職工の1日8時間を超える労働の禁止,職工一般に対する週休日・休憩時間の確保・尋常小学校未卒の者に対する工業主の費用による教育義務を説いたりするもので,核心を突くものが多い(参照『明治文化全集・第6巻社会編』183頁以下)。また,いよいよ工場法案の内容が最終的に練り挙げられる時期に開催された日本の社会政策学会第1回大会(明治40年〔1907〕)のテーマは「工場法と労働問題」であった(このことには拙稿「岡実『工場法論』」本誌454号(1998)20頁で簡単に触れた)。
(注17)同様の検討は「工業的企業における週休の適用に関する条約」(14号,1921年)および「商業及ビ事務所ニ於ケル労働時間ノ規律ニ関スル条約」(1930年,第30号条約)についても行うべきであろうが本稿では紙幅の関係もあり省略する。
(注18)休日労働の事由および手続に関しては「工業的企業における週休の適用に関する条約」(14号,1921年)4条に定められている。
(注19)野田進(2000)で克明に整理分析されているところであるが(93頁以下),これからのべることとの関係で同教授の論文を下敷きにして筆者なりに特徴を整理することとする。
(注20)非常事由による時間外休日労働の定め(現行労基法33条)は草案起草の「準備期」の末期にあたる「第4次案(昭和21.6.3)」で新規に挿入されている。労基法制定経過の時期区分に関しては渡辺章(2000)10頁以下および「主要経過(年表)」(18頁以下)を参照されたい。
(注21)坑内労働その他有害業務に従事する労働者の時間外労働は,起草過程では相当後期まで一貫して完全禁止の立場であったが,公聴会後の草案(第7次案覚書,昭和21.10.3)ではじめて2時間の許容枠が設けられた(立法資料51巻(1996)316頁,53巻(1997)157頁参照)。
(注22)野田進(2000)93-95頁。
(注23)以上の経緯に関し,野田進(2000)94-95頁参照。
(注24)小嶌典明「実労働時間短縮と労使関係・時間外労働とその規制」日本労働研究雑誌379号(1991)は同条約は「1日につき1時間の延長のみを認めている……(2条但書(b)を参照)」とのべているが(8頁),「2条但書(b)」は1週中の1日または数日の労働時間を8時間未満としたときに,他の1日または数日を8時間を超えて労働させることができるが,その場合でも「1日8時間の制限を超えること1時間より多きことを得ず」というもので,時間外労働には関係のない条文である(すなわち,一種の「1週間単位変形制」を制限的に許容する条文である)。もっともこの種の勘違いは法案制定当時の初期においては労働保護課のスタッフの間にもあったようである(立法資料51巻(1996)224頁の33条「欄外注記」を参照)。
(注25)労働基準法の起草者らはILO条約をおそらくドイツ語から邦訳したものと推察できるので念のためにそれを示しておくと〈労使の団体協定〉はVereinbarung zwischen Arbeitgeber und Arbeiterverbandenであり,〈労使の代表者協定〉はVereinbarung zwischen Vertretern der Arbeitgeber und Arbeiterである。
(注26)拙稿「労働者の過半数代表法制と労働条件」日本労働法学会編『21世紀の労働法』第3巻(有斐閣,2000年)137頁以下はそのような問題意識に基づいている。
(注27)現今のいわゆる「サービス残業」は賃金の割増分だけではなく,労働時間管理を意図的に懈怠し,時間当たり賃金そのものも支払わない風潮であって違法性はすこぶる強く,労働基準法の「労働保護」の面だけでなく「労働基準」としての存在意義それ自体を軽んじるものというほかない。


参考文献
岡実『改訂増補工場法論』(有斐閣,1917年〔初版〕,1985年〔復刻版〕)。
寺本廣作『労働基準法解説』(時事通信社,1950年)。
有泉亨『法律学全集・労働基準法』(有斐閣,1963年)。
廣政順一郎『労働基準法・制定経緯とその展開』(日本労務研究会,1979年)。
松本岩吉『労働基準法が世に出るまで』(労務行政研究所,1981年)。
渡辺章編集代表『日本立法資料全集』51~54巻(信山社,51巻1996年,52巻1998年,53・54巻1997年)。
日本労働法学会誌95号(総合労働研究所,2000年)所収の以下の論文。
野川忍「立法史料から見た労働基準法――規制と団交から契約と参加へ」。
野田進「労働時間規制立法の誕生」。
中窪裕也「労働保護法から労働基準法へ――労働憲章,賃金,女子・年少者の起草過程」。
土田道夫「労働基準法は何だったのか?――労基法の変遷・方向性をその制定過程から考える」。
渡辺章「立法史料からみた労働基準法――労働基準法立法史料研究の序説」。


 わたなべ・あきら 1940年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。筑波大学社会科学系教授。主な著書に『日本立法資料全集51巻~54巻労働基準法(昭和22年)』(編集代表)(信山社出版,1996~98年)など。労働法専攻。