論文データベース

[全文情報を閉じる]

全文情報
(著者抄録)
本論文は,職業紹介事業の自由化,派遣事業の拡大,技能の汎用性の高まり等,転職環境の改善が進んだ場合,それが企業内訓練,雇用の継続性,職の創出といった要因にどのような影響を与えるか,その結果として失業にいかなる変化をもたらすかを経済理論的に分析したものである。転職環境が整備されることは,直接には,企業利益の上昇を通じて職の創出を促進し,失業を減少させる。さらに,職の創出の拡大は技能活用の機会を拡大させるので,企業内訓練は促進される。しかし一方では,転職環境が良くなると,雇用関係の不安定化が引き起こされる可能性がある。このため,訓練は抑制されるとともに,職の創出は減少する。そして雇用の不安定化と職の創出の低下は,失業の増加をもたらすことになる。このように,転職を促進するような労働市場政策が行われた場合,理論的には均衡失業率が上昇するケースと低下するケースの両方が生じうることに留意しなければならない。

(論文目次)
I はじめに
II モデル
III 外部労働市場における就職確率と企業内訓練
IV 職の創出と転職環境の整備
V むすび

 I はじめに

 本論文は,職業紹介事業の自由化,派遣事業の拡大,技能の汎用性の高まり等,転職環境の改善が進んだ場合,それが企業内訓練,雇用の継続性,職の創出といった要因にどのような影響を与えるか,その結果として失業にいかなる変化をもたらすかを経済理論的に分析したものである。
 転職環境が整備されることは,企業内訓練に相反する二つの影響を与える。転職環境が整備されることは,訓練された労働者の市場からの採用が可能となることから,企業の利益は上昇する。そのため,企業の新規参入による職の創出(ジョブ・クリエイション)が促進され,失業は減少することになる。そして,職の創出が拡大すると,外部労働市場において労働者が技能を生かす機会が拡大するので,企業内訓練は促進される。訓練水準の上昇はさらなる職の創出と失業の減少をもたらすことになる。
 このような効果が持つ政策的含意を考えると,現在日本で唱えられている「市場原理」による労働市場の改革論を支持する結果となっている。これらの改革論者は,失業などの問題が発生するのは,労働市場に「市場原理」の機能を妨げる要因があるからと主張する(注1)。従来,職業紹介事業や派遣事業などが厳しく規制されたため,ミスマッチを解消することができなかった。また,日本企業は企業特殊的訓練に重点を置いたため,外部労働市場での労働者の職業能力(エンプロイアビリティ)が低く,一度労働者が失業すると問題は深刻になる。労働市場の摩擦の減少を通じてミスマッチ解消を図り,労働者の職業能力を高めることが,雇用問題にとって重要というわけである。
 しかしながら,転職環境の整備には別の効果も考えられる。すなわち,転職が容易になることによる労働移動の増加は,雇用関係の不安定化を引き起こす可能性を持っている。このとき,失業によって訓練が無駄になる可能性が生じるので,それだけ企業内訓練の期待収益は低下し,訓練は抑制される。さらに,訓練水準が低下すれば,労働者を雇う利益も減少するので,職の創出は抑制される。雇用の不安定化と職の創出の低下は,失業の増加をもたらすことになる。
 こうした結果は,「市場原理」による改革に反対する立場につながる。従来,雇用関係が安定的であるからこそ,企業と労働者はお互いを投資の対象ととらえ,技能の訓練を行ってきた。こうした企業内訓練は,外部の企業にも恩恵をもたらし,労働者を採用する意欲を高めてきたはずである。こうした状況では,「市場原理」による改革は,従来のシステムを破壊するだけになるかもしれない。企業内訓練や企業の採用意欲を阻害して,失業の増大を引き起こす可能性があるわけである。
 本論文の考察によって,「市場原理」による改革論が必ずしも妥当でないことがわかる。たしかに,転職の障害が減少することにはメリットがある。しかし一方で,企業内訓練が雇用の継続性に依存しているのであれば,労働移動の増大によって訓練が抑制され,失業が増大する可能性がある。転職環境を整備することの効果は単純でなく,経済学の価格メカニズムを短絡的に労働市場にあてはめることはできない。改革のメリットとデメリットを比較する必要があるのである。
 本論文は,以下のように構成される。IIでモデルの概要と均衡の導出が説明される。IIIは,外部労働市場の就職確率の上昇が,企業内訓練や雇用の継続性にいかなる影響を与えるか,その結果として失業がどのように変動するかを考察する。IVでは,職の創出を導入することによって就職確率を内生化し,転職環境の改善の効果が分析される。Vは,結論と本論文のインプリケーションである。




 II モデル

 1 モデルの構造

 経済は2期間,第1期と第2期からなり,経済主体はリスク中立的で,その割引率はゼロであるとしよう。第1期において,n人の労働者が企業と雇用関係を結んでいるとする。われわれは収穫一定を仮定するため,一企業が雇っている労働者の数は結論にとって本質的ではない。したがって,以下では簡単化のため,一企業が1人の労働者を雇用しているとする。
 第1期において,企業と労働者は共同利益を最大化するように企業内訓練をtだけ実施し,その結果,第2期における労働者の生産性はtとなる。訓練のコストC(t)は



であり,企業と労働者が共同で負担するとしよう(注2)。
 第2期のはじめに,企業特殊的ショックが発生する。このショックはλの確率で発生する負の生産性ショックであり,このショックのため第2期の労働者の生産性はdだけ低下してしまい,t-dとなってしまう(注3)。負の生産性ショックが発生したとき,企業と労働者には二つの選択肢がある。一つは低い生産性のまま雇用関係を維持することであり,もう一つは雇用関係を清算することである。企業と労働者は,雇用関係を清算して労働者が外部労働市場に参入し企業が経済から退出したときの利得と,低い生産性の雇用関係を維持したときの利得を比較して,雇用関係を維持するかどうか決定することになる。以後,われわれは,負の生産性ショックに耐えて第1期の雇用関係が存続することを雇用が安定的であるとし,負の生産性ショックが第1期の雇用関係を破壊することを雇用が不安定であると呼ぶことにしよう。
 第2期に外部労働市場に参入した労働者は,外生的確率qで新たな企業に雇用され,残りの1-qの割合の労働者は第2期において失業するとする。われわれのモデルでは,外部労働市場において雇用関係を結ぶ機会はこの一度だけである(注4)。
 第1期の企業内訓練は外部労働市場ではその一部しか役に立たないので,労働者の生産性はαtに低下するとしよう(ただし,αは0以上,1以下のパラメーターである)。つまり,われわれのモデルにおける訓練は純粋な一般的訓練と完全な企業特殊的訓練の中間の性質を持つのである。また,労働者の生産性の一定割合が賃金になると考えて,労働者は自らの生産性のβの割合,つまりβαtだけ賃金として受け取るとする(注5)。


 2 均衡の決定

 われわれのモデルにおいて内生的に決定しなければならないのは,企業内訓練の水準tと負の生産性ショックが発生したときの雇用の安定性である。ここで,企業内訓練の水準と雇用関係の清算は,企業と労働者の共同の意思決定であることに注意されたい。企業と労働者は,第1期に雇用関係を形成したとき,雇用契約を結ぶ。この雇用契約によって,企業内訓練の水準と雇用の安定性が決定されることになる。企業も労働者も勝手に雇用関係を清算することができない。つまり,第1期の雇用契約は,ショックの発生を解雇・転職の条件にすることができ,第2期においても拘束力を持つのである(注6)。
 以下では,雇用が安定的な場合と不安定な場合のそれぞれについて,最適な訓練水準を求める。そして,最適な訓練水準が実行されることを前提にして,雇用が安定的な場合における企業と労働者の共同利益と,不安定な場合の共同利益を求め,その大小によって雇用の安定性を決定しよう。
 まず,雇用が安定的なケースの最適な訓練水準を考察する。第1期において労働者を1人雇い,tだけ訓練することによって発生する,企業と労働者にとっての共同の期待利益をπ**(t)とおく。このとき,



が成立する。第1項はショックが発生しないときの利益であり,第2項は負の生産性ショックが発生したときに雇用関係を維持することから得られる利益を表している。第3項は訓練のコストである。安定的雇用における最適訓練水準t**は,(1)をtについて微分してゼロとおくことで得られ,その結果,



を得ることができる。雇用が安定的なときには,訓練は必ず企業内で生かされるので,訓練の限界収益は1となる。訓練の限界コストはtなので,最適な訓練水準は1となるのである。
 次に,雇用が不安定なケースの分析に移ろう。雇用が不安定な場合の,企業と労働者にとっての共同の期待利益をπ*(t)とおくと,



となる。第2項は,負の生産性ショックにより雇用関係が清算されて,労働者が外部労働市場に参入したときの期待利益を示している(注7)。最適訓練の水準は,(3)を微分してゼロとおくことで,



であるとわかる。雇用が清算されて労働者が外部労働市場に参入すると,qの確率でしか再就職できない。しかも,再就職しても生産性のうちβαの割合しか得られないので,外部労働市場に労働者が参入した場合,qβαの割合の訓練利益だけ,訓練を実施した企業と労働者は獲得することになる。その結果,企業内訓練の期待限界収益は,負の生産性ショックの発生確率×外部労働市場において被る期待損失率=λ×(1-qβα)だけ低下して,そのぶん,最適訓練水準も減少するのである。
 以上より,われわれは雇用の安定性を決定して,モデルを閉じることができる。雇用を安定化させたときに企業と労働者が得られる共同利益は,(2)を(1)に代入することによって得られる。同様に,(3)と(4)から,雇用が不安定なケースの共同利益が計算できる。企業と労働者は,この両者を比較して,π**(t**)>π*(t*)ならば,安定的な雇用関係を選択して,企業内訓練をt**だけ実施する(注8)。逆に,π**(t**)<π*(t*)ならば,雇用関係は不安定になり,訓練水準はt*となるのである。




 III 外部労働市場における就職確率と企業内訓練

 この節では,外部労働市場での就職確率qが変化したとき,企業内訓練と雇用の安定性がどのように影響を受けるのか検討しよう。(1),(2),(3),(4)より



を得ることができる。(5)が正であるときは雇用関係は安定的になり,(5)が負になるとショックによって雇用は破壊されることになる。
 図1にπ**(t**)-π*(t*)とqの関係が描かれており,この図からqの効果を分析できる。図1では,qに関する2次方程式π**(t**)=π*(t*)を満たす二つの解の大きいほうを



とおき,q<(q+)ではπ*(t*)<π**(t**)であり,(q+)<qではπ**(t**)<π*(t*)となっている。したがって,qが小さいときには雇用が安定的で,qが(q+)を超えると雇用が不安定になる。

図1

 しかしながら,(5)が必ず図1のようになるわけではない。なぜなら,(q+)が虚数であったり,区間[0,1]の外にある場合を考慮していないからである。この点を考慮すると,就職確率qと経済の均衡には,以下の三つのケースが存在することがわかる。

【ケースA】((q+)<0または(q+)が虚数のケース)
 どんなq(0<q<1)に対しても,雇用は不安定で訓練水準は1-λ(1-qβα)になる。
【ケースB】(0<(q+)<1 のケース)
 0<q<(q+)では雇用は安定的で訓練水準は1となり,(q+)<q<1のときは雇用は不安定で訓練水準は1-λ(1-qβα)となる。
【ケースC】(1<(q+)のケース)
 どんなq(0<q<1)に対しても,雇用は安定的で訓練水準は1になる。

 では,それぞれのケースは,どのようなパラメーターの値の下で生じるのであろうか。この疑問に答えるため,(q+)とパラメーターの関係を分析しよう。まず,1-2λdが正であれば(q+)は実数で,逆に1-2λdが負になれば(q+)が虚数になることはすぐにわかる。次に,(q+)が実数である場合には,(q+)はα,β,λ,dに関してそれぞれ減少関数となる。(5)よりα,β,dについて確認することは容易であるので,残るλについて検討しよう。(q+)をλについて微分すると



を得る。ここで,(1-λd)2-(1-2λd)=λ2d2>0より(7)の分子は負となるので,(q+)はλについても減少関数になるわけである。
 以上の結果より,α,β,λ,dが大きいとき,ケースAが起こりやすくなるとわかる。α,β,λ,dが大きくなるほど,(q+)は小さくなる。さらにλやdが十分に高くなると,1<2λdが成立し,(q+)は虚数となってケースAが生じるのである。λやdが大きいときには,企業と労働者にとってショックを耐えて雇用関係を維持するコストは高い。一方,αやβが大きいと,外部労働市場へ参入したときの利得は大きくなる。したがって,qがどのような値でも,ショックが発生すると,雇用関係は清算されるのである。逆に,α,β,λ,dが小さい場合,逆のロジックにより,ケースCが起こりやすくなる。ショックに耐えるほうが,外部労働市場に参入するよりも,常に利益が高いわけである。そして,α,β,λ,dが中間の水準にあるとき,ケースBが発生する可能性が高い(注9)。このケースでは,ショックを耐えて雇用関係を維持する利益と外部労働市場に参入する利得の両者は,大きく乖離しない。そのため,qが小さいときは,外部労働市場に参入することが不利になり,雇用関係は安定的になる。それに対して,qが大きいときは外部労働市場に参入することが有利になって,ショックによって雇用関係が破壊されるのである。
 最も興味深いのは,ケースBである。qがゼロから上昇すると考えよう。qが(q+)よりも小さい範囲では,訓練水準は1で変化せず,失業者数もゼロのままである。ところがqが(q+)を超えて高まると,訓練の水準は1から1-λ(1-(q+)βα)に低下し,失業者数はゼロからλ(1-(q+))nにジャンプする。その後は,qの上昇にともない,訓練は促進され,失業者数は減少することになる。
 ケースBの場合,qが上昇すると,二つの効果が働く可能性がある。第1に,qが上昇すると,失業者が減少する。その結果,外部労働市場において失業のリスクが減少するので,訓練の期待収益は高まり,そのため企業内訓練は促進される。第2に,外部労働市場で就職しやすくなると,雇用関係が不安定化する可能性がある。雇用が不安定になることは,失業のリスクの増加を意味し,訓練が無駄になる可能性が高まるので,そのぶん訓練は抑制されることになる。(q+)よりも小さい領域でqが高まっても,外部労働市場に参入する労働者は存在しないので,第1の効果も第2の効果も働かない。qの変化が何の効果も持たないのはそのためである。qが(q+)よりも大きいところで変化する場合には,第1の効果が発生して,qの上昇は訓練の増加と失業者数の低下をもたらす。ところが,(q+)の前後でqが変化するときには,第2の効果が働くことになる。そのため,qの上昇にともない訓練は減少し,失業者数は増加するのである。

図2



 IV 職の創出と転職環境の整備

 1 職の創出と就職確率の内生化

 これまでqは外生変数であったが,この節ではqを内生化したい。そこで,次のようなメカニズムを導入する。訓練の水準が上昇すると,訓練の収益の一部は企業に漏れているため,企業の利益も上昇する。その結果,外部労働市場への企業の参入が促進されて,労働者が職を見つける確率が高まるとする(注10)。つまり,
 訓練の水準 t→企業の雇用創出
        労働者の就職確率q
という経路を持つメカニズムを想定するわけである。以後,われわれは,中間の段階である雇用創出を明示的には考慮しないで,訓練の水準が高まると就職確率が上昇すると考える(注11)。その結果,qは訓練tの増加関数q(t)であると表現される。
 qを内生化した場合における均衡の決定は,図3に示されている。ここで,E1からE5を結ぶ曲線は,IIIのケースBにおける就職確率と訓練水準の関係を表している。われわれは,もっぱらIIIのケースBに焦点をあてることにする。その理由はこうである。近年,労働移動を通じて,経済調整を円滑にすべきであるという主張が高まりつつある。われわれのモデルに則して言えば,ショックによって生産性が低下したときには労働者の雇用を維持するよりも,労働移動を通じて新たな雇用関係を生み出したほうが,経済の効率化に貢献するというのである。われわれの目的は,こうした主張の妥当性を考えること,つまり雇用の不安定化が持つ効果を分析することであるので,ケースBが考察対象には適当となるわけである。

図3

 経済の均衡は,この曲線とq(t)の交点で得られる。交点がq<(q+)の領域にあるとき,安定的な雇用関係のもと訓練の水準は1となり,均衡がq>(q+)の領域に存在すると,雇用は不安定になり,訓練水準も1-λ(1-qβα)に低下することになる(注12)。


 2 就職確率の内生化の経済学的基礎

 関数q(t)を経済学の分析道具を用いて導出しよう。われわれは,以下の二つの手順でqを内生化する。最初に,Pissarides(1990)にならい,aggregate matching function m(v, u)を導入しよう。ここでvは企業の求人数であり,uは求職者数である(注13)。m(・,・)はvとuに関して増加関数であり,1次同次とする。m(・,・)は外部労働市場において新たに成立する雇用関係を表しており,これが企業の求人数vと求職者数uに依存するわけである。qはm(v, u)/uと考えられるが,m(・,・)は1次同次であるから,



となる。つまり,qは有効求人倍率v/uのみに依存し,v/uを求めることによって,外部労働市場における就職確率qが得られることになる。
 次に企業の外部労働市場への参入過程を分析し,有効求人倍率v/uを求めよう。企業は参入して得られる期待利益=雇用確率×企業の収益=(m(v, u)/v)×(1-β)αtと参入コストが等しくなるまで参入を続けるから



が成立する。ただし,kは参入コストである。この式より,v/uはtの増加関数であることがわかる。高い企業内訓練を受けた労働者が外部労働市場に参入すると,それだけ企業の収益も上昇するから,有効求人倍率も増加するのである。aggregate matching function m(v, u)は1次同次であるから,雇用の安定性の変化にともなう求職者数の変動はqに影響を与えないことに注意されたい(注14)。以上より,qを訓練tの増加関数q(t)であると表現できる。


 3 転職環境の改善の効果

 従来,日本の労働市場は,高い移動費用に特徴づけられ,雇用関係が安定的であるとされてきた。そうした状況は,図3のq(t)によって表現可能であり,この場合,経済の均衡はE1となる。企業内訓練において企業特殊性が強かったり,労働市場の摩擦が大きいため,外部労働市場における企業の職の創出は活発でない。そのためq(t)は左側に位置することとなり,安定的な雇用関係と高い訓練水準が実現するのである。
 しかしながら近年,転職環境を改善することによって,経済調整を円滑にすべきであるという提言が多くなされている。こうした主張の妥当性を考えるため,当初,均衡が図3のE1であるような経済を考えよう。そして以下では,二つのやり方で労働移動の費用を低下させ,それが経済にいかなる影響を与えるかを分析する(注15)。
 移動費用が低下する第1のケースは,労働市場の摩擦の減少である(注16)。職業紹介事業や労働者派遣業が整備されて,企業や労働者がより容易にパートナーを見つけられるようになると考えるわけである。この結果,企業による職の創出は促進され,q(t)は右方シフトすることになる。
 摩擦が減少する前には,q(t)の下,均衡がE1であるとしよう。摩擦が減少してq(t)からq(t)′に右方シフトすると,均衡はE2を経て,E3になる。ここで,均衡E3では,経済の平均的訓練の水準が均衡E3における訓練の水準となるように,適当な比率で訓練1-λ(1-(q+)βα)の労働者と訓練1の労働者が外部労働市場に存在しており,これは,均衡では1-λ(1-(q+)βα)の訓練と1の訓練が無差別であるから実現可能である。E2からE3への移行過程では,より多くの労働者の訓練水準は1-λ(1-(q+)βα)へ低下し,またより多くの雇用関係が不安定化するため失業者数は増大する。E3への移行過程では,次のような現象が生じている。労働市場の摩擦が減少することによって,企業の職の創出が促進される。その結果,就職確率が上昇し,労働者は負の生産性ショックが生じたとき雇用を安定化させることよりも外部労働市場に参入することを選択する。不安定な雇用関係では訓練を低下させることが合理的となり,そのため訓練の水準は低下するわけである。訓練の低下は,職の創出を引き下げ,就職確率は元の水準に戻ることになる。同様の結論は,新豊(1999)においても報告されているが,新豊(1999)の場合,その結論は訓練のコストをすべて労働者が負担するという仮定に依存していた。われわれのモデルではより一般的なコスト負担の枠組みで,同じ結論を導出できたことになる。
 さらに摩擦が減少して,q(t)が右方シフトするとどうなるであろうか。均衡はE4からE5に移行し,その過程で,失業は減少し,訓練の水準は上昇する。しかも,そのプロセスは加速度的に進行する。それは,われわれの経済には次のような戦略的補完性があるからである。訓練が促進されると,利潤の上昇を通じて企業の雇用創出が増加し,qが上昇する。外部労働市場で就職しやすくなると,外部労働市場で訓練を生かすチャンスが上昇し,そのため企業内訓練は増加するのである。
 次に,移動費用が低下する第2のケース,訓練の汎用性(α)の上昇の効果を考えよう。再びわれわれは,当初において雇用関係は安定的で,図4において均衡がq(t)と曲線の交点E1にあるとする。αが上昇すると,企業内訓練がより外部労働市場の企業にとって有用になるので,外部労働市場への企業の参入が促進され,q(t)はq(t)′へと右方シフトする。しかし同時に,αの上昇は,労働者が外部労働市場に参入することを有利にして,(q+)を(q+)′へと左側に移動させる。その結果,qと訓練水準の関係は曲線から′曲線に変化する。こうしたq(t)と曲線の変化の結果,当初の均衡E1は,αの増大にともなって,E2に移行する。つまり均衡は,右方に移動した後,左下の方向に変化するのである。この左下への移行過程では,ますます多くの雇用関係が不安定化するため,多くの労働者の企業内訓練が低下する。そのため外部労働市場の企業にとっての期待収益が減少して,そのぶん職の創出が抑制されて,労働者の就職確率が低下するのである。さらに,αが上昇すると,均衡は左下への移動を止め,右上に移行し始める。右上への移行過程では,加速度的に,訓練は促進され失業は減少する。訓練が増加すると企業の参入が促進され,失業が低下する。職の創出が活発化すると,それだけ訓練を生かす機会が広がるので,訓練水準が上昇するわけである。

図4

 転職環境の整備は,それが摩擦の減少であれ訓練の汎用性の上昇であれ,まったく違う効果を持ちうることがわかった。移動費用の減少そのものは,企業の参入を増大させ,訓練の増加と失業の減少をもたらすことになる。しかしながら,転職環境の整備によって,雇用関係が不安定になるときは,事情が違ってくる。われわれのモデルでは,雇用の安定性と企業内訓練は補完的であるので,雇用の不安定化は訓練の低下をもたらす。訓練が減少すると,職の創出が抑制され,その結果,失業の増大が発生する。つまり,失業の減少を目指したミスマッチ解消策は,かえって均衡失業を高める可能性があるのである。


 4 複数均衡

 われわれの経済では複数均衡が生じる可能性があり,図5には二つの安定的均衡E1,E2が存在する(注17)。こうした状況において労働移動のコストが減少すると,どのような現象が発生するのであろうか。ここでは,簡単化のため,労働市場の摩擦が減少してq(t)が右方シフトする場合のみを考えよう(注18)。
 q(t)が右方シフトすると,均衡E2は右上方に移動し,その結果,訓練水準は高まり失業者の数が減少する。それに対して均衡E1は下方に移動する。そのため,より多くの労働者の訓練水準は低下し,またより多くの雇用関係が不安定化するため失業者数は増大する。つまり,同じq(t)のシフトでも,まったく逆の効果が起こりうるのである。

図5

 「市場原理」にもとづく労働市場改革論において,しばしば改革の手本として挙げられるのがアメリカの労働市場である。しかしながら,本論文の分析から,他国の経験を自国に当てはめることには注意が必要であるとわかる。経済構造が同じでも,初期の均衡によっては効果が全く異なるからである。労働移動が活発なアメリカの均衡はE2であり,安定的な雇用を特徴とする日本は均衡E1を実現しているかもしれない。特に,現在の日本では,雇用関係が不安定化しており,したがって,企業内訓練が阻害される危険は高い。本論文の分析から,経済を改革するには,他国の経験のみならず,対象となる国の実態分析が不可欠であるとわかる(注19)。




 V むすび

 近年,安定的な雇用関係が経済の柔軟性を弱め,労働力の調整は企業外部の労働市場において実行されるべきであるという主張が多くなされている。このような主張のもと,多くの論者が,「市場原理」にもとづいた労働市場の変革,つまり,職業紹介事業の自由化などの制度改革や汎用的な技能への移行を提言している。彼らによれば,労働者の適切な配分が実現されるとともに,外部労働市場においての技能活用の増大を通じて,労働者への訓練が促進されるというのである。
 しかしながら,雇用関係の安定性が企業内訓練にとって重要であると認識すれば,結論は大きく変わってくる。従来,日本では,安定的な雇用関係の下,企業内訓練が積極的に実施されてきた。そうした訓練が労働者の生産性を高め,日本企業の競争力を強くしてきたのである。こうしたメカニズムは,労働移動の高まりとともに失われ,訓練の水準は低下するかもしれない。訓練が減少すれば企業の採用意欲は抑制され,雇用の不安定化とあいまって,失業は増大することになる。こうした結果は,長引く不況の下で雇用関係が不安定化しつつある日本にとって深刻かもしれない。生産性ショックの頻度が高く経済が不安定な状況では,転職環境の整備によって雇用が不安定になるとき,失業の増大量は大きなものとなるからである。
 われわれのモデルでは,労働市場の摩擦が十分に低下するか,訓練の汎用性が十分高くなれば,訓練水準の上昇と失業の低下がもたらされている。しかも生産性の低くなった企業は清算され,それだけ経済が効率化する。したがって,本論文は,「市場原理」による改革に反対する根拠を与えるというよりも,改革の際の注意点を指摘したものと解釈できる。中途半端な改革では,訓練水準の低下と失業の増大というデメリットが生じるかもしれない。しかし,労働市場の摩擦の低下や訓練の汎用性の高まりが十分な規模になれば,「市場原理」を支持する論者のシナリオが実現するわけである。たとえ,摩擦の減少や訓練の汎用化を単独で実施しても十分な効果がない場合でも,両者を同時に行うことによって,訓練水準の上昇と失業の低下がもたらされるであろう。
 1990年代に入っての日本経済の低迷の背景には,中途半端な金融改革があると指摘される。1980年代の金融の自由化のなかで,金融の証券化が進行し,メインバンクの機能が低下した。その結果,企業は無駄な投資を行い,また,貸し出し先を失った銀行も不動産関連融資を拡大させていくことになった。こうしてバブルが発生したわけであるが,バブル崩壊後は,新しい金融仲介のシステムを構築するような政策がないなかで,貸し渋りなど既存のシステムの機能低下によって,経済が混乱することになったのである(注20)。そうした失敗を,労働市場で繰り返してはならない。単純に「市場原理」を当てはめるのでなく,理論的そして実証的な研究が政策には不可欠である。



*本論文の作成にあたっては,岩井克人教授(東京大学)にご指導をいただいた。日本経済学会1998年度秋季大会における上島康弘教授(帝塚山大学)および東京大学マクロワークショップでの吉川洋教授,西村清彦教授,福田慎一助教授,大瀧雅之助教授の丁寧なコメントは大変に有益であった。また,2人の匿名のレフェリーが指摘して下さった改善点は,本論文を完成するうえで不可欠なものであった。ここに感謝の意を表したい。もちろん,残る誤りは著者(e-mail: CXX03413@nifty. ne. jp)のものである。


(注1)このような主張に関しては,たとえば,八代(1997)を見よ。

(注2)この定式化はレフェリーより示唆を得た。

(注3)この生産性ショックには,製品が時代遅れとなって需要が低下することや経営の失敗なども含まれる。

(注4)第2期の外部労働市場における企業は,第1期に労働者と雇用関係にある企業とは別の種類の企業である。本論文では,分析を簡単にするため,両者の相互作用をモデルから排除している。

(注5)この経済学的基礎は以下のとおりである。賃金の決定は,労働者の交渉力をβとするNash交渉で決定されると仮定しよう。交渉が決裂した場合には企業と労働者は再び雇用関係を結ぶ機会がないので,Nash交渉における企業,労働者のthreat pointはともにゼロになる。したがって,Nash交渉によって決定される賃金は,労働者の生産性の一定部分,つまりβαtとなる。

(注6)われわれのモデルでは,企業と労働者が共同利益を最大化するように意思決定するため,二つの意思決定は企業と労働者の分配からは独立となる。したがって,第1期に雇用関係を結んでいる企業と労働者における分配の問題,つまり賃金の決定は分析の対象外とする。もっとも,第1期の雇用契約が第2期において拘束力がなく,第2期の賃金が第2期のNash交渉によって決定されると仮定しても,本論文の結論は変わらない。この場合も,雇用関係の清算は,企業と労働者の共同利益が最大になるように決定される。さらに,第1期の雇用契約がNash交渉によって行われるとすると,「労働者の第1期の賃金+第2期の期待賃金=労働者のthreat pointの利得+第1期のNash交渉の余剰のβの割合」が成立する。第2期の期待賃金を所与とすれば,第1期の賃金を決定することができる。このような定式化の下でも,本論文の結論に変化はない。

(注7)雇用関係が清算された場合,企業の利益はゼロである。

(注8)雇用が安定的になるためには,雇用を維持したときの共同利益(t**-d)>外部労働市場における企業の利得(0)+労働者の(期待)利得(qβαt**)という条件が成立しなければならない。この条件はπ**(t**)>π*(t**)と同値であり,π*(t*)>π*(t**)だから,π**(t**)>π*(t*)が成立すれば,π**(t**)>π*(t**)は満たされる。したがって,雇用の安定性の決定のためには,π**(t**)とπ*(t*)の大小を比較すれば十分である。

(注9)たとえば,



のとき,(q+)は約0.74になり,ケースBが生じる。

(注10)このようなメカニズムは,Laing, Palivos, and Wang(1995), Acemoglu (1996) において研究されている。

(注11)ただし,分析の説明では,企業による雇用創出が重要になる。

(注12)曲線とq(t)が,0<q<(q+)で交わる場合,外部労働市場に参入する労働者は存在しない。したがって,厳密には,企業の参入もなくqはゼロのはずである。ここでは,以下のように考える。家庭の事情などで労働者が確率pで企業を辞め,外部労働市場に参入するとしよう。すると,雇用の安定性にかかわりなく,外部労働市場に労働者が存在するので,企業の参入も発生する。われわれは,この離職確率pをゼロに収束させて,均衡を得ることにする。その結果,0<q<(q+)においても均衡E1が存在可能となる。

(注13)一企業は1人の労働者しか雇えないから,求人数は企業数に等しい。

(注14)宮川・玄田・出島(1994)は,日本の労働市場における就職動向は企業の求人のみに依存していると論じている。つまり,matching functionがvのみの関数m(v)となることを示したのである。しかしこの場合でも,本質的には同じ結論を導くことができる。

(注15)本論文では,「労働移動の費用の低下」と「転職環境の整備」は同じ意味である。

(注16)モデルに即して言えば,matching function m (・,・) のシフトや企業参入費用kの低下を想定している。

(注17)われわれは以下のような調整過程を仮定し,均衡の安定性を調べる。所与のqにおいて,q(t)曲線のtの値>曲線のtの値であればqは低下し,逆のケースではqは上昇するものとする。本論文の分析は安定的均衡に限定される。

(注18)αが上昇するケースでも,結果は本質的には同じである。

(注19)このような主張は,われわれがはじめてではない。たとえば大瀧(1994)は,初期状態に応じて多様な長期均衡がありうる労働市場モデルを構築したうえで,各国の歴史的与件を入念に分析する必要性を指摘している。

(注20)もし,金融自由化が既存のシステムの機能を低下させることを予期して,厳格な検査や早期是正措置などの政策が採用されていれば,日本経済の低迷は長期化されなかったかもしれない。


参考文献

大瀧雅之(1994)『景気循環の理論――現代日本経済の構造――』,東京大学出版会。
新豊直輝(1999)「ホールド・アップ問題と失業――労働市場の流動化は望ましいか?」『日本経済研究』No. 38, pp. 172-200。
宮川努・玄田有史・出島敬久(1994)「就職動向の時系列分析」『経済研究』Vol. 45, No. 3, pp. 248-260。
八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学』日本経済新聞社。
Acemoglu, D. (1996)“A Microfoundation for Social Increasing Returns in Human Capital Accumulation,”The Quarterly Journal of Economics, Vol. 111, pp. 779-804.
Laing, D., Palivos, T. and Wang, P. (1995)“Learning, Matching and Growth,”Review of Economic Studies, Vol. 62, pp. 115-129.
Pissarides, C. A. (1990) Equilibrium Unemployment Theory, Oxford: Blackwell.


しんとよ・なおき 1969年生まれ。東京大学大学院経済学研究科第2種博士課程修了。東京大学博士(経済学)。琉球大学法文学部講師。主な論文に「ホールド・アップ問題と失業  労働市場の流動化は望ましいか?」『日本経済研究』No.38, 1999年,など。マクロ経済学・労働経済学専攻。