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(著者抄録)
若年層が転職しやすいとか、就業意識に変化が出ているとかいわれるが、実態はどうだろうか。本稿はその問題を、慶應義塾大学の新設キャンパスである湘南藤沢キャンパス(SFC)の卒業生についてみてみた。卒業後3年以内の卒業生を観察すると、転職そのものはまだ少ないが、会社への適応で困難を抱えている者の多いことがわかった。また、少なからぬ卒業生がいわゆる就社でも就職でもなく、働く場のありようにこだわる「就場」の意識を持っていることもわかった。そしてこの場合、会社内でのイニシエーションで特殊な困難を経験するように思われた。

(論文目次)
I はじめに
II 転職動向
III 三つのおもな発見
IV 就業の三つのバリエーション
V 初期キャリアにおけるイニシエーション類型
VI 二つのバリエーション
VII 結論

I はじめに

 ここ十年来,日本では大学改革の気運が高まり,全国各地に新設の大学,新設の学部ができた。それらの多くは,いわゆる文科系と理科系の融合や,学際的教育研究,社会に開かれたキャンパスを謳うなど,新しい大学像の構築をめざしている。
 私が所属している慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下SFC)は,そうした数ある新構想大学・学部のなかでも最も先駆的な事例の一つであろう。1990年に総合政策学部,環境情報学部の2学部,94年に大学院政策・メディア研究科が開設されたSFCは,設立以来さまざまな革新的取り組みを実践し,大学改革のモデルとして高く評価されてきた。その革新性は「AO入試」に代表される新しい入試の試みに始まり,既存のディシプリン(学科目)にとらわれないカリキュラム編成,学生による授業評価,オフィスアワーの設定に至るまで,多くの諸制度に現れている。高度のコンピュータネットワークを備えたサイバーキャンパスの側面もある。
 このうち,「AO入試」については多少の説明を要するかもしれない。AO入試というのは,受験生による自薦に基づいた公募制度の入試であり,日本ではSFCが初めて採り入れた。SFCの入試資料によれば,AO入試とは,入学志願者が中学校卒業後から出願に至る全期間の高校生活や社会人生活を通して培った多面的能力を「書類」と「面接」により総合評価し選考する,新しい入試方法である。一般のペーパー試験とは異なり,常設のアドミッション・オフィス(Admission Office)とよばれる入試事務局が置かれ,教員以外の職員も参加して運用に当たるのが大きな特徴で,その入試事務局の名前からAO入試と略称されている。
 SFCでこの制度を考案した当事者の1人によると,SFCのAO入試の大きな特徴は次の三つである(注1)。
 第1は,「学業+α」を受験資格としている点である。AO入試は,学業を犠牲にしたうえで体得した「芸」を評価するシステムではない。
 第2は,受験生による自薦に基づいた公募制度だという点である。自薦である以上,いわゆる指定校制度とは異なり,一定の資格・基準を超えた人物であれば誰でも出願できる。
 第3は,年4回実施されるローリング・アドミッションの方式をとっており,4月入学と9月入学とが可能な点である。これにより,海外の高校を卒業した受験生が半年近くも時間を無為に過ごさざるをえない現状への対応策となる。
 こうしたAO入試の考え方とその実験的取り組みは,大学入学制度多様化のモデル的試みとして文部省の中央教育審議会で高く評価され,こんにち多くの大学で入試改善の焦点になりつつある。
 しかし新構想の評価は,そうした入試改革やキャンパス内での取り組みだけでは完結しない。その評価は最終的にはキャンパスで育った学生諸君が大学を卒業し,その後どういう活躍をするか,あるいはしないかで決まるものだろう。
 そこで私は,SFCの学部・大学院双方を含む学生諸君の協力を得て,同キャンパスの全卒業生を対象に卒業後の動向調査を実施し,とくに企業に就職した卒業生について,仕事にかかわる意識,すなわち就業意識を立ち入って調査することにした(注2)。
 調査方法としては,卒業生全員を対象とする郵送質問票調査と,個別の聞き取り調査とを実施した。
 調査が行われた1997年秋の時点で,学部・大学院を含む卒業生総数は3704名であったが,住所不明131名を除く3573名を質問票調査の対象とした。その結果,送付された質問票に対して1330名の回答が得られた。回収率は37%である。回答の内訳は総合政策学部卒業生49.1%,環境情報学部卒業生48.0%,大学院政策・メディア研究科修士修了者2.8%である。ごく一部の大学院修了者を除くと,回答の大半は学部卒業者のものといえる。卒業年次別の内訳は,表1のとおりである。

表1 回答の内訳

 郵送質問票に対する回答者のプロフィールを記述しておくと,第1回の学部卒業生を出して4年目に実施した調査なので,卒業後の年数は3年を経過した者が最長である。回答者のなかで男性は57.7%,女性は42.3%を占めている。回答者の平均年齢は24.6歳で,既婚率は8.8%である。
 一方,聞き取り調査は約50名に対して行われた。聞き取りの対象を無作為に抽出していないので,聞き取りに基づく記述の部分は卒業生の平均像を描くものではない。
 以下,本稿は,その調査に基づく議論である(注3)。



II 転職動向

 慶應義塾大学のSFCにおいて卒業生動向調査を実施することになった一つのきっかけは,SFC卒業生が転職しやすいといった報道がいくつかのマスコミで行われたことにある。「SFCの卒業生は会社に定着しない」「すぐに辞める」「転職率3割」など,いろいろと報道された(注4)。ごく少数の卒業生を取材したこうした報道は,新構想キャンパスに対する関心の強さを示しているが,少数事例に基づくこの種の報道に直面し,実態がどうなっているのかについて,キャンパス内でも強い関心が集まった。
 そこで,まず注目された転職動向について調べてみた。われわれの質問票調査によると,回答を寄せた卒業生全体の転職・離職率は12.1%であり,比較的低い水準にとどまっていることがわかった。この数値は,卒業時にいったん就職した人のなかで,その後転職した人と離職した人を合計した比率である。それゆえ,ここで測っているのは転職率というより転職・離職率とよぶべきものである。
 転職・離職者の内訳をみると,まず男女別内訳では,男性9.2%に対して女性21.2%であり,女性の転職・離職率のほうが高かった。また卒業年次別にみると,1997年の春に卒業したばかりの4期生が2.3%,以下3期生10.3%,2期生13.5%,そして1期生21.4%であり,卒業年次が古いほど転職・離職率が高いという結果であった。
 SFCにかぎらず,一般的にも女性の転職率は高い傾向があり,また年次をおって転職率が高くなるのも当たり前のことであろう。だからそのかぎりでは,SFC卒業生のこのデータは格別特殊なものではなく,むしろごく普通の結果であるというべきかもしれない。しかしそれと同時に,女性転職率と1期生の転職率の高さに注目し,その二つを先行指標的にみるならば,SFC卒業生の転職傾向は今後いっそう上昇するといえるかもしれない。
 しかしながら,学部卒業後数年以内の若いビジネスマンであれば転職・離職率は30%台というのが,就職情報に詳しい専門家の見方である(注5)。それゆえ現状のかぎりでは,一部で報道されたほどSFC卒業生の転職・離職率は顕著に高くないというべきだろう。
 もちろん,転職者が少ないということは,現実社会のなかで全然問題がないということではない。事実は逆であって,調査の過程でSFC卒業生の間に,所属している会社に対していろいろ不平,不満のあることがわかった。また,会社組織への不適応を起こしている事例にも出くわした。そうした事例が常に転職や離職につながるわけではないだろうが,現実社会と卒業生との間の摩擦やあつれきの一部は,大学時代のSFCにおける学生生活や勉学姿勢,就職の仕方とも無縁ではないように思われた。
 そこで,その点を明らかにするために,ミクロ組織論的な観点から,調査結果を図式的に整理要約する試みをした。それが以下の議論である。



III 三つのおもな発見

 さて,約50人の卒業生と直接に会って,1~2時間の聞き取りを実施したところ,直観的にいって,まず次の3点が指摘できるように思われた。
 第1はSFC卒業生の多様性の高さである。たとえば就職先をみると,メーカー,商社,金融,小売・商業,マスコミと多岐にわたっているし,職種も,いわゆる事務系から完全な技術系まで幅広く分布している。就職先企業の規模も大,中,小とさまざまで,要するに特定種類の会社に集中していない(注6)。
 卒業生のこの多様性の高さは,SFCのキャンパス自体,いわゆる文系と理系を融合させた学部編成になっていることに加えて,入口が三つもある多元的な入試制度(SFCでは一般入試と塾内進学のほかに,上述したAO入試を実施している),幅広いカリキュラム構成,そして自由度の高いカリキュラム選択,等々の結果であろう。
 第2の特徴は,大学時代に習得したことや形成した価値・行動様式を直接的に実社会,とくに会社に持ち込もうとする傾向が,卒業生の間に強くみられる点である。
 日本の大学生は一般に「大学と会社とは別世界。学生時代に学んだことや形成した価値・行動様式は企業では通用しない。だから,学生時代に培ったものは組織へのエントリー時にいったん白紙に戻すべきだ」と考えているのではあるまいか。それに対して,SFC卒業生は,大学で習得したものがそのまま仕事の場でも適用できると考えている節がある。そのかぎり,企業をまったくの別世界とはみていないのである。そのため,学生時代に学んだことをいったん白紙に戻すことなく,それを企業のなかに直接的に持ち込もうとする傾向がある。
 第3に,就職意思決定に際して,少なからぬ卒業生が「職場」というファクターを重視していることである。
 従来,日本の大学生の就職意思決定は,「職業の選択」かあるいは「会社の選択」か,その二者択一であるといわれてきた。前者はいわゆる「就職」であり,後者はいわゆる「就社」である。就職とは,自らが就きたい職務あるいは仕事自体を重視して決定を行うことをさす。それに対して就社とは,エントリーする企業の全体としての規模,知名度,ステータス,安定性などを重視して決定することをさす。
 SFC卒業生のなかには,上述の「就職」に該当する者も「就社」に該当する者も,いずれもたしかに存在したが,それに加えて,職業でも会社でもなく,いわば第3の選択肢として「職場」の選択をした者が固まりとして存在していた。ここに職場とは,会社と職務とのちょうど中間に位置する分析単位である。
 職場を重視するというのは,会社全体のマクロ特性(経営方針,全社戦略,組織の全体的特徴など)ではなく,仕事自体のミクロ特性(仕事の種類,性質,魅力など)でもなく,いわば中間的な社会単位としての職場に注目し,職場というその社会単位の特徴,すなわち本人が日常的に接触する直接の上司や同僚との人間関係,その職場に固有の仕事内容,毎日の仕事の進め方,場の雰囲気,カルチャーを重視するということである。
 職場を重視した就職意思決定は,SFCにおける学生生活の経験,とくにグループワークを多用した問題発見・問題解決をそのままダイレクトに企業に期待する意思決定でもある。
 参考までに,以上の議論を組み立てるきっかけとなった質問票調査の結果を,ここで一瞥しておこう。質問票で「現在の労働条件や仕事の条件」を12挙げ,各条件の重視度と満足度を5点尺度で聞いた結果が表2である。その表から次の4点が指摘できる。

表2 重視度と満足度の平均値

 第1に,重視度で4点以上の項目は「仕事内容それ自体」「職場の作業環境」「上司や同僚との人間関係」の三つである。つまり会社全体のマクロ特性より,仕事それ自体や職場のミクロ環境を重視している。
 第2に,重視度で大きな男女差はないが,「実際に取得できる休暇日数」と「研修・教育機会」の2項目では,いずれも女性の重視度が高い。
 第3に,重視度に比べると満足度は全体的に低くなるが,最低スコアでも2.91なので,絶対的には満足度は必ずしも低くない。そのなかで,とくに満足度の高い項目は「上司や同僚との人間関係」で,3.66を得ており,ここでも身近な環境に対する強い関心が現れている。
 第4に,転職・離職者の満足度は,予想どおり全体的に低い。「転職・離職経験なし」との比較でいうと,とくに「仕事内容それ自体」で顕著である。



IV 就業の三つのバリエーション

 以下では聞き取り調査と質問票調査の結果を,一つの視点から集約した全体像として提示してみたい。その視点とは,大学生活を経て,就職を決め,そして組織体としての会社に入って高々3年程度を経験した卒業生を対象とし,彼らの社会的適応過程を,(1)学生生活,(2)就業意思決定パターン,(3)組織体内部における初期キャリア,の3段階にわたる一貫した流れとしてとらえる視点である。
 まず大学生活と就業意思決定パターンとの関係について。SFC卒業生の間には三つのバリエーションが存在する。学生生活をそのままダイレクトに企業に期待するSFC卒業生においては,就業意思決定パターンと学生生活の間に直接的な関連がみられることがわかる(図1参照)。

図1

 就業意思決定パターンのバリエーションを規定する大学生活の類型として,ここでは「学習モード」「課外活動モード」,および「キャンパスライフモード」の三つを区別している。
 そのうち第1の学習モードとは,大学時代に最も力を注いだのが狭い意味の学習であり,より具体的には授業,研究会(ゼミ),プロジェクトワーク(特定の問題を課題として組織される,短期のグループ活動)などに力を入れた人をさす。勉強中心の真面目な学生がこれに相当する。
 第2の課外活動モードとは,SFC外の人々とのやりとりを重視した課外活動全般,たとえばサークル・同好会,体育会,アルバイト,地域活動などに注力した人をさす。「課外」というのはカリキュラムの外(extra-curriculum)を意味する。活動の場は必ずしもキャンパスに限らない。内外の多様な集団を基盤とした活動に熱心に取り組んだ学生がこれに相当する。
 以上の二つが,いわば伝統的な大学生活モードの代表的2類型であるのに対して,第3のキャンパスライフモードというのはSFCに独特の大学生活モードであり,ほかならぬSFCキャンパスでの生活を重視し楽しんだ人たちをさす。何日も夜間にキャンパスにとどまって「残留」し,グループワークやサークル活動に没頭するなど,要するにSFCのコミュニティのなかで友人と寝食を共にする生活を送った学生の生活スタイルが,このキャンパスライフモードである。これは,「24時間キャンパス」を謳い,各種のキャンパス施設を原則的に24時間開放しているSFCの条件を,最もよく生かした学生生活モードである。
 学期中のSFCに深夜訪問したゲストは,たくさんの学生が「残留」しているのに出くわすはずである。通常の学期中でもけっこう多いが,試験が近づくと,深夜12時をすぎても数百人単位でキャンパスに学生が残っている。夜のほうがコンピュータ利用の便が良いほか,遠隔地に孤立して立地しているキャンパスの地理的条件も関係している。私が直接に見聞した事例で,ある学生は年間約130日に及ぶ「残留」経験者であった。
 SFCの大きな特徴は,キャンパスライフモードというSFCに独特の生活モードが少なからぬ学生の間に厳然として存在するという点であり,しかもなおかつ,それが他を押しのけるのではなく,三つの生活モードがすべて並存し,そのかぎりで大学生活のモードが多様であるという点である。
 さて調査結果によると,大学時代の生活様式と就業意思決定パターンとの間に,比較的はっきりした対応関係があった。すなわち,学習モードの人は仕事の選択(就職)をし,課外活動モードの人は会社の選択(就社)をし,そしてキャンパスライフモードの人は職場の選択(就場)をするというように,大きな対応関係が両者の間に存在したのである。
 このうち,前二者はSFC以外でも広く観察される対応関係であるが,それに対して,最後の「キャンパスライフモード→職場の選択」というのは,SFCに独特の対応関係である。少なからぬSFC卒業生の間にこの「キャンパスライフモード→職場の選択」という関係がみられることは注目すべき点である。
 聞き取り調査で当初,比較的多くの卒業生が,仕事の場における身近な人間関係を重視するような話題に言及した。同時にまた,仕事内容それ自体や仕事の環境,課題設定や仕事の進め方についての言及も多かった。古いリーダーシップ論の言い方でいえば,人間関係志向と仕事志向の両軸ともスコアが高い「High-High」の組み合わせである(注7)。
 しかし,サーベイ結果を子細に検討し,また聞き取り調査をさらに進める過程で,われわれは人間関係志向と仕事志向という既存の2次元フレームワークで観察結果をまとめたのでは,何か重要なものが議論からこぼれ落ちてしまうように感じた。そこで,「職場」という概念を新たに導入し,われわれ独自の分析枠組みを構築したのである。



V 初期キャリアにおけるイニシエーション類型

 初期キャリアの問題は,イニシエーション(通過儀礼,加入儀礼)の問題として定式化できる(注8)。
 会社に入ったときに,個人は組織に適応し,その組織文化を内面化しようとする。その際に個人は2種類のイニシエーションに直面する。第1は,新しい世界での仕事に慣れ,課題がうまくこなせるかどうかという「課題」イニシエーションである。第2は,その世界で出会う新しい人々と文化にうまく溶け込めるかどうかという「人・文化」イニシエーションである。これらのイニシエーションを通過することで,個人は組織に適応し社会化(socialize)していく。
 学生時代に学習に注力し,就職決定時に仕事に対する強い期待を抱いていた「学習モード→仕事の選択」の人たちは,仕事自体に対して強い執着心を持っている。このケースでは,エントリー前から仕事に対して明確な期待を持っているため,「課題」イニシエーションに関してその期待との大きな乖離が生じないかぎり,組織にうまく適応していく(図2参照)。

図2

 学生時代に課外活動に精を出し,就職決定時に組織体に対して強い期待を抱いていた「課外活動モード→組織体の選択」の人たちは,組織体全体に対して強い執着を持っている。このケースでは,「人・文化」イニシエーションのなかでもとくにマクロの組織要因(全体としての組織風土・文化,社会的評価)に敏感であり,エントリー前からその要因に対して明確な期待を持っている。その期待が現実と大きく乖離しないかぎり,「人・文化」イニシエーションを大過なく通過し,組織に適応していく(図2参照)。
 最後に「キャンパスライフモード→職場の選択」のケースでは,イニシエーション問題は上記二つのケースより複雑である。職場に対して強い期待を持ち執着するということは,イニシエーションの観点では二つの側面がある。職場というのは,職場の同僚や直接の上司,小集団の雰囲気という「人・文化」イニシエーションにかかわる側面を持つと同時に,その職場に固有の仕事それ自体,その仕事の進め方,および行動様式という「課題」イニシエーションにかかわる側面も併せ持つからである。この場合,エントリー時のイニシエーションとの関連では,「課題」イニシエーションと「人・文化」イニシエーションの双方とも重要になる。つまり「キャンパスライフモード→職場の選択」のケースでは,種類の違う二つのイニシエーションを通過して,初めて組織にうまく適応していく(図2参照)。
 以上に略述した対応関係は,単なるスペキュレーションではない。質問票調査や聞き取り調査のなかから,断片的ながら経験的パターンとして浮かび上がってきたものをつなぎ合わせた対応関係である。
 この三つの対応関係のなかで,われわれにとって特に注目すべきは,最後の「キャンパスライフモード→職場の選択」の関係である。なぜなら,第1に,このタイプがSFCに特徴的であり,SFCでの経験が実質的な母体となっているからであり,第2に,社会人として仕事を進めていく過程で,この対応関係には特殊に困難な課題が生じる可能性があることを,上述の議論は示唆しているからである。通常一つのタイプのイニシエーションで済むものが,この場合には2種類のイニシエーションを通過して,初めて組織に適応できるのである。
 以上は,単純化しすぎた図式的整理かもしれない。調査結果が示す卒業生動向ははるかに複雑である。しかし,単純なその図式的整理のかぎりでも,SFC卒業生は,他大学卒業生に比して組織への適応と社会化に関し特殊に難しい課題に直面する可能性が高いことがわかる。それは,調査過程で得たわれわれの実感と合致している。



VI 二つのバリエーション

 聞き取り調査で出会った卒業生の動向をみるかぎり,適応事例にせよ不適応事例にせよ,上述の概念枠組みで説明できる例が多いように思われた。だが,そうした典型的事例とは別に,聞き取り調査ではさらに,次のような興味深いバリエーションもみられた。複数事例の聞き取りで観察され,どこかSFCの本質的特徴にかかわっている例である。
 第1は,ある意味で古典的な技術系スペシャリストのタイプである。これはSFCで技術系の勉強に真面目に取り組んだ卒業生に見受けられた。彼らは学生時代に,SFCで技術的に立ち入った勉強をしたけれど,典型的な理工系学部出身者ほどの自信が持てず,就業意思決定の際に技術職か非技術職かで迷った人たちである。SFCの卒業生には,けっこうこのタイプが多い。このタイプの卒業生はSFCの教育に対して不満があり,また自分自身の技術的知識・能力に多少とも劣等感を持っている。そのため仕事の面でも技術系と非技術系の間の中途半端なものになってしまい,本人も煮え切らないまま,仕事への執着が薄れていく,といったケースである。
 第2は,企業で力を持て余しているタイプである。このタイプは,キャンパスで積極的な学生生活を送った卒業生に多い。彼らの多くは就職でも就社でもなく,まさに職場の選択をし,その就業意思決定を肯定的に回顧しているが,会社での経験がSFCでの経験に比べてあまりに退屈なので,その落差の大きさに不満を持っている。仕事の内容も,SFCで学んできた未来志向的な事柄ではなく,いわばルーティンであるため,「自分にはもっと何か別のことができるはず」と考えている。だが,その力が何であるかが自分でもわからず,くすぶっているタイプである。
 これらの事例の面白さは,一見すると既述の枠組みどおりの対応関係にありながら,なお問題が残る点である。第1は「学習モード→仕事の選択→「課題」イニシエーション」と経由している例であるが,それでも,文理融合型キャンパスにおける学習モードの特殊な難しさを示唆している。従来型の縦割り学習ではないので,どこかよりどころに欠け,確固たる自信形成が難しい面があり,その困難が就業後にも影響するのであろう。
 また,第2の例は「キャンパスライフモード→職場の選択→ 「課題+人・文化」イニシエーション」と経由している例であり,これもそのかぎりで逸脱事例ではない。けれども,実験的要素の多い新構想キャンパスはきわめて非日常的空間であり,興奮に満ち,旧来の「象牙の塔」とは違った意味で浮世離れした場を作っているのかもしれない。そういうキャンパスから一歩外へ出ると,実社会のすべてが退屈に見えるのであろう。
 二つの事例は単なる過渡的現象とみることもできるが,新構想キャンパスと実社会との間のギャップの大きさを示唆しているとみることもできる。また,新構想キャンパスで育っていく学生たちは,自分が何者であるかという,自己のアイデンティティの確立に苦しむ可能性があることも,それらの事例は示唆している。
 いずれにせよ,新構想キャンパスにおける卒業生の就職と会社への初期適応過程を考えるうえで,こうした事例は多くの示唆を含んでいる。今後,この種の事例観察を蓄積していくことが重要であろう。



VII 結  論

 冒頭に触れたように,慶應義塾大学のSFCにおける実験は,試行当初は幾多の先駆的試みを含んでいたが,こんにちでは国公立大学を含め,日本中の多くの大学で類似の試みが展開されている。その結果,SFC卒業生が職業社会で直面している課題や問題と類似の現象に,他の大学・他のキャンパスの卒業生もまた直面する可能性が出てきている。
 そのような課題や問題を前にして,「遅れた」社会を批判しても,「現実離れした」大学を批判しても,十分ではない。卒業生の就職と社会への適応過程の問題は,結局のところ大学と実社会との関係性の本質にかかわっており,どちらか一方の「改革」だけでは済まないからである。
 ここで改めて確認すべきは,大学と社会が社会的相互作用の上に成り立っていて,その相互作用の枢要な部分を卒業生が体現しているという素朴な事実である。適応へ向けて卒業生個々人が努力しなければならないのは当然としても,制度レベルの努力もまた必要である。しかし大学が変わっても社会が変わっても,それだけでは問題の解決にならない。大学と社会は時間をかけてやりとりし,次代を担う建設的な期待の形成と共有をめざすべきであり,その過程で互いに自らを鍛えていくべきであろう。
 ここで紹介された調査と議論は,あくまでも単一事例に基づくものにすぎず,また経験的調査としては多くの限界を含んでいる。だが,提起された論点は必ずしも事例に特殊とばかりはいえないものであろう。一般化可能な論点を多少とも含んでいることを期待して,小論を終えたい。


(注1)梅垣理郎「慶應義塾大学の入試改善――AO入試のめざすもの」『大学と学生』第340号,1993年,32-33頁。

(注2)調査を遂行したのは,慶應義塾大学榊原清則研究会に所属する,学部および大学院の以下の学生である。杉本将隆,仲川薫,平野裕士,山田理子,吉崎剛史,向川啓太,山田麻衣子,加賀美リサ,川田幹子,以上9名。

(注3)調査結果の詳細は次に報告されている。Project Anchor「慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス卒業生就業意識調査97」,慶應義塾大学SFC内部資料,1998年3月。

(注4)代表的な報道の例として,『エコノミスト』1997年3月11日号,86頁など。

(注5)株式会社リクルートの研究者の意見。この意見を裏付ける調査は多々あるが,たとえば首都圏に住む20歳代のビジネスマンの転職経験率は,1995年調査で30%台である(リクルートリサーチ「首都圏ビジネスマンの転職実態調査1995」)。

(注6)SFC1期生については就職先集中率のデータ(『週刊ダイヤモンド』1996年4月6日号,70頁)があり,同期の三田諸学部卒業生の7割が180社に集中しているのに比べて,SFC1期生は692人に対して400社。明らかに一流・大企業志向とは一線を画しているのがわかる。

(注7)古典的な研究例として,Rensis Likert, New Patterns of Management, McGraw-Hill, 1961,三隅二不二『新しいリーダーシップ』,ダイヤモンド社,1966年など。

(注8)初期キャリアにおける諸問題を扱った先行研究の包括的レビューとして,次が有用である。金井壽宏,「エントリー・マネジメントと日本企業のRJP指向性」『神戸大学経営学部研究年報XXXX』1993年,1-66頁。


さかきばら・きよのり 1949年生まれ。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。慶應義塾大学総合政策学部教授。主な著書に『日本企業の研究開発マネジメント』(千倉書房,1995年)など。