論文データベース

[全文情報を閉じる]

全文情報
(著者抄録)
日本は、一度事業に失敗すると再び開業することが難しい社会であると言われている。だが、この主張には何の裏付けもない。たしかに、事業に失敗した結果、再び開業するどころか、生活すらままならないという例はある。その一方で、倒産から再起し、大きな成功を収めている企業も存在する。失敗から再起できるかどうかは、社会や制度によるのではなく、起業家本人に依存している。早めに撤退すれば、資産を残すことも可能であり、負債を少しずつでも返済するなど債権者に誠意をもって対応すれば、起業家としての信用を失うこともなく、再起が容易になる。
(論文目次)
I はじめに
II 「2度目の開業に関するアンケート」について
  1 廃業の定義
  2 調査対象の偏り
III 廃業時の状況
  1 廃業の理由
  2 事業の整理方法
  3 廃業時の雇用
IV 「2度目の開業」までの経緯
  1 再開業までの就業状況
  2 再開業までの期間
  3 再開業の理由
V 「2度目の開業」時の状況
  1 業種
  2 開業費用と自己資金
VI 開業後の経営状況
  1 目標月商の達成度
  2 採算
  3 雇用の増減
VII 失敗経験の資源化
VIII 再起の条件
  1 撤退のタイミング
  2 失敗への対応
  3 アメリカをめぐる誤解
IX おわりに

 I はじめに

 1997年の『ヨーロッパ中小企業白書』によれば,日本の開業率は,欧米諸国と比べて頭抜けて低い(図1)。その要因として,これまで,さまざまなことがら――経済的な要因から,はては文化や民族性まで――が指摘されてきた。

図1 統一定義による開業率 1988年~1994年(企業数に対する%)

 最近では,「日本では事業に失敗すれば企業の資産だけではなく,個人の資産まで身ぐるみ剥がれてしまい,再起不能になってしまう。だから,起業に対して慎重になり,開業率が低いのだ」という見方がある。つまり,破産法制や連帯保証人制度に開業率が低いことの要因を求めようというのである。
 しかし,この見方には無理がある。破産法も連帯保証人制度も,開業率が高かった高度成長期にも存在していたからである。また,連帯保証人制度が存在し,しかも1999年まで破産法に免責制度がなかったドイツの開業率が,日本より高いことを説明できない。
 ただ,事業に失敗し,再起できないでいる起業家が存在するのは事実である。一方,倒産のどん底から再び起業し,成功を収めている起業家もいる。その明暗を分けるものは,法制ではないとすれば,何なのか。
 本稿の目的は,日本の社会は,決して敗者に冷淡ではなく,事業に失敗しても再起のチャンスは十分にあることを示すことにある。具体的には,国民生活金融公庫総合研究所が2001年に行った「2度目の開業に関するアンケート」の結果をもとに,廃業経験者による開業が,初めての開業者による開業よりも,むしろ良好なパフォーマンスを見せており,再起は十分可能であること,そして再起できるかどうかは起業家本人に大きく依存していることを示す。それはまた,再起の条件を明らかにすることでもある。



 II 「2度目の開業に関するアンケート」について

 「2度目の開業に関するアンケート」は,2001年8月に郵送によって調査票を送付・回収するという方法で実施された。対象は,(1)国民生活金融公庫が1994年4月から2001年3月にかけて融資した企業のうち,融資時点で開業後5年以内の企業であり,かつ(2)過去に自分自身で興した事業を廃業した経験をもっている経営者である。集計数は236件。なお,アンケート結果を利用するに当たっては,以下の点に注意しなければならない。

 1 廃業の定義

 一口に廃業といっても,その形態は大きく二つある。一つは,法的整理であり,破産,商法に基づく会社整理,特別清算の3種類がある。もう一つは法律によらない任意整理である。この中には経営者の病気など,経営上の理由によらない廃業も含まれる。したがって,廃業は必ずしも事業の失敗を意味するわけではない。
 また,廃業は倒産とも一致しない。通常,倒産には銀行取引停止や会社更生法・民事再生法の申請が含まれる。つまり,倒産しても事業は継続しているというケースがある。アンケートでいう廃業とは,理由のいかんにかかわらず,事業活動をやめたものを指す。

 2 調査対象の偏り

 本来,調査対象の母集団となるべきは,廃業の経験がある人全体である。しかし,この集団を把握することは不可能である。たとえば,官報によって破産者の氏名と破産当時の住所を入手することはできるが,破産の理由までは把握できない。まして,法律によらない私的整理は,その事実を確認することすら難しい。したがって,再び起業した人と起業しようとして果たせなかった人とを比較対照するという重要な作業ができない。
 なお,母集団を把握できないことは,再起しようとする起業家が過去の失敗を金融機関等に知られる可能性も低いということを意味する。このことは,しばしば言われるように日本が失敗者に冷たい社会であった場合,再起を目指す起業家にとって有利に働く。
 また,調査対象は国民生活金融公庫の融資先で,かつ正常に返済している企業であるから,さまざまなバイアスがかかっていることが予想される。残念ながら集計数も少なすぎる。
 以上の問題点はあるにせよ,ほかに代わる調査もなく,現時点で唯一利用できるデータである。なお,アンケートの個票データは,東京大学社会科学研究所のデータアーカイブに寄託されている。



 III 廃業時の状況

 1 廃業の理由

 まずは,廃業が事業の失敗に基づくものであるのかどうかを確認しておこう。廃業の理由(三つまでの複数回答)で最も多いのは,「業績の悪化」で,50.4%の企業が回答している(図2)。

図2 廃業理由

 ほかは分散しているが,大別すれば「経営難」と「経営者の経営能力等」が各60.6%,「事業外の要因」が31.4%となる。ただし,「事業外の要因」だけで廃業したものは12.3%にすぎない。アンケート回答企業は,事業上の失敗により廃業したと見なして差し支えないだろう。

 2 事業の整理方法

 事業が失敗したとなると,次に問題になるのは,どのようにして撤退したかである。アンケートでは,「任意整理」が80.9%,「営業譲渡」が17.9%となっており,法的整理は「破産」が1.2%あるのみである。
 法律によって一方的に清算するのではなく,話し合いに基づいて,おそらくは比較的円満に事業から撤退しているであろうことが推察できる。

 3 廃業時の雇用

 廃業に当たって,債務の整理と並んで問題となるであろうと予想されるのが,従業員の処遇である。しかし,廃業に当たって,従業員に関する問題があったかどうかをみると,「問題があった」とする企業は,6.4%にすぎない。
 そこで,廃業を決めた時点の従業者数をみると,10人未満であった企業が88.1%を占めており,平均では6.6人となっている(図3)。廃業した時点は,廃業を決めてから,平均で5.2カ月経過しているが,従業者数は平均5.7人とほとんど変化していない。

図3 廃業決定時点と廃業時点の従業者数(%)

 廃業を決断するほどの業績不振は,従業員にも体感できる。客が来ない,機械が稼働していない,在庫があり余っているというのは誰の目にも業績不振と映る。将来に不安を抱える企業からは従業員も離れていく。そうして,従業員が減っていくため,雇用はあまり問題にならないのであろう。
 もちろん,従業員が多い場合には,雇用問題は廃業のネックになる。その場合,しばしば用いられるのが営業譲渡である。スーパーを4店経営していた社は,競合に負けて大幅な債務超過に陥った。法的整理も考えたが,それでは雇用を守れない。そこで,競争相手のスーパーに会社を売却した。負債を抱えることなく,雇用も維持できるスマートな解決方法であった。



 IV 「2度目の開業」までの経緯

 1 再開業までの就業状況

 廃業時の年齢は,平均で40.6歳である。事業に失敗したからといって,失意のうちに沈んでいられる年齢ではない。後述するが,廃業時点で負債の整理がついていない場合もある。そのため,75.2%の人が廃業後雇用者となっている。ちなみにサンプルの男女比は,男性が86.4%,女性が13.6%であるが,雇用者になっている割合は女性でも7割近い。

 2 再開業までの期間

 廃業してから再び開業するまでの期間は平均すると8.1年である。しかし,分布をみると,「1年未満」が15.7%あるのをはじめ,「5年未満」で39.1%,「10年未満」で64.2%と,比較的早期に再び開業している。廃業後雇用者になっていない者がいたが,それもうなずける数字である。

 3 再開業の理由

 国民生活金融公庫総合研究所が毎年行っている「新規開業に関するアンケート(東京大学社会科学研究所データアーカイブ所収)」によれば,開業の理由は毎年同じ傾向を示している。廃業経験者が再び開業した理由もほぼ同じである。
 図4は,「2度目の開業に関するアンケート」でたずねた再開業の理由と,2001年に実施された「新規開業に関するアンケート」における開業理由(三つまで複数回答)を比較したものである。なお,「新規開業に関するアンケート」の回答者には廃業経験者が含まれているので,それらを除いた「初めての開業者」のみの集計結果を用いている。

図4 (再)開業の理由

 二つのグループとも,最も回答が多かったのは「自分の裁量で仕事をしたい」である。ただ,回答者の割合は「初めての開業者」が61.0%であるのに対し,廃業経験者では48.1%と少なくなっている。同様に,「働きに応じた収入を得たい」も廃業経験者のほうが少ない。一度失敗しているだけに,廃業経験者は開業に当たって過大な期待を抱かなくなっている,あるいはより現実的になっているのだといえるだろう。



 V 「2度目の開業」時の状況

 1 業種

 再度開業するに当たって,廃業経験者はどのような事業を選んでいるのか。産業大分類でみると,50.6%が廃業した事業とは異なる業種で,49.4%が廃業したのと同じ業種で開業している。もちろん,事業内容を詳細にみていけば,廃業した事業と同じ事業で再度開業した企業の割合はもっと少なくなると思われるが,アンケートではそこまで調査していない(一般に知られていない産業分類を経営者に答えさせるのは無理である)。
 廃業した事業と同じ分野で再び開業した者と,異なる分野で開業した者とに,ほぼ二分されるわけだが,後者の理由は比較的想像しやすい。痛い目に遭った事業とはもうかかわりたくない,あるいは自分には合っていないという考えから,異なる事業を選ぶのである。
 先のスーパーを売却せざるをえなくなった社の社長は,現在灯油の巡回販売を行っている。この事業を選んだのは,商品管理の複雑さに対応できなかったことが,スーパーが失敗した理由の一つだと考えているからだそうである。灯油しか扱わないのだから,たしかに商品管理はシンプルである。
 もちろん,前回の失敗に懲りて異なる事業を選ぶ人ばかりではない。古書店をチェーン化し,新しいビジネスモデルをつくりだしたブックオフコーポレーション(株)の坂本社長は,オーディオショップを倒産させた経験をもつ。しかし,古書店の経営を選んだのは,旧態依然とした古書店業界に事業機会を見いだしたからであって,オーディオショップを倒産させたこととは関係ない。
 前者の同じ事業で開業した人たちはどうだろうか。彼らが再開業に当たって,なぜ今のビジネスを選んだのか(三つまで複数回答)をみると,多い順に「キャリアを生かせる」46.6%,「この仕事が好きだった」35.3%,「資格や知識を生かせる」27.6%となっている(図5)。「初めての開業者」と比べると,「キャリアを生かせる」が最も多い点は変わらないが,「この仕事が好きだった」の割合が「資格や知識を生かせる」よりも多くなっている。

図5 今の事業を選んだ理由(上位3項目)

 かつてベンチャーの雄と呼ばれたパソコン製造のソード(株)を,経営不振から東芝に売却した椎名社長は,現在もパソコン製造のプロサイド(株)を経営している。AT互換機という新たな事業機会を見いだしたこともあるが,やはりコンピュータが好きであること,そしてソード(株)時代のネットワークを生かせることが,再度パソコン製造に取り組んだ理由と考えられる。
 失敗に懲りて,もう同じ事業はやりたくないと考える者がいる一方で,再び同じフィールドで自分を試してみたいと考える者もいるのである。

 2 開業費用と自己資金

 平均をとると,40.6歳で廃業し,再び開業するまでに8.1年かかっているので,再開業時の年齢は48.7歳である。分布では,50歳以上が49.6%を占める。「初めての開業者」では,50歳未満が80.4%を占めるのとは対照的である。
 開業というリスクの高い選択を行うには,年齢が高すぎるようにも思われるが,そのぶん再開業理由で確認したように,開業に対して冷静である。
 廃業経験者の開業費用は,平均1366万円で,「初めての開業者」の平均値1576万円よりやや少ない(図6)。開業費用の分布をみると,「500万円未満」が33.6%と,「初めての開業者」の23.2%を10.4ポイントも上回っているのが特徴的である。

図6 開業費用の分布(%)

 さらに特徴的なのは,開業費用に対する自己資金の割合が高いことである(図7)。廃業経験者の自己資金額は平均517万円で,「初めての開業者」の418万円よりも多い。開業費用とは逆である。その結果,開業費用に対する自己資金の割合は,廃業経験者が平均37.1%,「初めての開業者」が28.8%となっている。

図7 開業費用に対する自己資金の割合(%)

 開業すること自体がリスクのある行為であり,矛盾した表現になるが,廃業経験者は失敗の経験を糧に,より堅実な開業計画を立てているといって差し支えあるまい。



 VI 開業後の経営状況

 廃業経験者による開業は,「初めての開業者」による開業と比べて,良好なパフォーマンスを示しているものが多い。本節では,「初めての開業者」と比較するために,廃業経験者による開業のデータは,開業後29カ月以内の企業に限った(比較する2001年の「新規開業に関するアンケート」では,開業後の経過月数の最大値が29カ月だからである)。

 1 目標月商の達成度

 開業に当たって,起業家が考えるのが事業計画である。重要なポイントの一つは売り上げの予測である。目標とした月商は,廃業経験者が362万円,「初めての開業者」が385万円とそれほど差はない。分布をみると,むしろ「初めての開業者」のほうが200万円未満の目標を立てる者が多いほどである。
 しかし,調査時点での目標月商の達成度をみると,目標を達成している企業は,「初めての開業」が38.1%であるのに対し,廃業経験者の開業では49.4%となっている(図8)。

図8 目標月商の達成度(%)

 2 採算

 黒字企業の割合をみても,「初めての開業」の51.2%に対し,廃業経験者の開業では59.9%となっている。より顕著な差がみられるのは,黒字になるまでの期間である。廃業経験者の開業では,開業後1年以内に黒字になった企業のうち,3カ月以内に黒字になったものが54.4%を占めるのに対し,「初めての開業」では,34.1%にとどまっている(図9)。

図9 黒字になるまでの期間(%)

 3 雇用の増減

 売り上げや採算における業績の好調さは,雇用の増減にも現れている。「初めての開業」では,開業後平均して雇用を1.1人(3.2人→4.3人)増加させているが,廃業経験者による開業では雇用を2.0人(4.3人→6.3人)増やしている。
 雇用に伴うコストは高く,多少業績がよいくらいでは雇用を増やせないので,売り上げや採算ほど顕著な差はみられないが,雇用創出という視点からみても,廃業経験者の開業は好ましい結果をだしているといえよう。



 VII 失敗経験の資源化

 ここまで,大雑把ではあるが,廃業経験者による開業の実態をみてきた。廃業経験者による開業は,「初めての開業」よりも堅実であり,事業計画の精度も高い。これは,廃業経験者が過去の失敗から学んでいるからにほかならない。
 廃業の経験や事業経営の経験を現在の事業経営に生かしているかをみると,76.2%の企業が「生かしている」と回答している(図10)。

図10 廃業経験や事業経営の経験を現在の事業に生かしているか(%)

 実例を挙げれば,一つの製品や企業に依存して失敗した起業家は,新しい事業では商品や受注先の分散を図る。逆に,多角化に失敗した起業家は,事業を絞り込む。商品管理に苦労した起業家は,管理が楽な商品を選ぶ。もちろん,経営危機への備えや長期的な視点に立った経営といった抽象的な学習効果もある。それでも,失敗の痛みを知った者ならではの経営が随所に見られる。失敗という貴重な経験を再起のための資源に変換しているのである。
 一方,廃業経験が現在の事業でマイナスとなっていることがあるかをみると,89.4%の廃業経験者が「特にない」と回答している(図11)。なかには,「金融機関から融資を受けられなかった(6.0%)」「融資の保証人が見つからなかった(4.7%)」といった回答もあるが,これらは失敗の経験があろうとなかろうと生じうる問題である。

図11 廃業経験がマイナスとなった点

 もっとも,本アンケートは再び開業できた人へのアンケートであり,開業しようとして果たせなかった人のことはわからない。したがって,アンケート結果だけでは,本当に過去の廃業経験が再起の障害にならないとは言い切れない。
 ただ,通常の新規開業にもいえることであるが,再起できなかったという人たちは,はたして本気で再開業の道を探ったのだろうか。よく資金がなくて開業できないという人がいるが,実際に開業した人は必ずしも潤沢な資金をもっていたわけではない。あらゆる手段を使って資金を調達し,あるいはもてる資金の範囲で開業できるように知恵を絞って開業しているのである。
 いずれにせよ,失敗の経験が再起の障害にならないとまでは断定できないとしても,一度失敗したらそれで終わりというわけでもないこともまた事実である。となると,再起できるかどうか,明暗を分けるものが存在することになる。



 VIII 再起の条件

 1 撤退のタイミング

 事業に失敗しても再起できる人と再起できない人がいることには,主に二つの要因がある。一つは,撤退の判断を的確にできるかどうかである。
 アンケートによれば,廃業経験者の79.9%は,廃業時期は「適切であった」と回答している。ちなみに,廃業した事業をどれくらいの期間経営していたのかをみると,「5年未満」が43.7%を占めており,「10年未満」まで範囲を広げると68.6%になる。
 撤退のタイミングが適切であったことは,廃業時の資産・負債状況に表れている。
 まず,廃業時の負債(銀行からの借入金や取引先への未払金)状況をみると,「廃業までにすべて清算した」者が56.5%を占めている(図12)。負債が残った企業も,その総額は500万円未満が最も多い(図13)。この程度なら雇用者であっても返済は十分可能だろう。

図12 廃業時における負債の整理状況(%)

図13 廃業時に残った負債金額

 次に,資産の保有状況をみると,負債を整理するために自宅不動産を売却したという者は9.1%にすぎず,廃業後も所有していた者が41.8%もいる(図14)。現預金の状況をみても,さすがに負債を整理したためか,57.1%が「ほとんど残らなかった」と回答しているが,それでも42.9%は「ある程度残っていた」としている(図15)。

図14 廃業時に残った資産(%)

図15 廃業時の現預金の保有状況(%)

 以上から,撤退のタイミングを間違わなければ,「事業の失敗」=「何もかも失うこと」にはならないことは明らかである。たとえば,大阪市で衣料の卸を行っていたY氏は,一時は九州に工場をもつまでに事業を成功させた。だが,じきにアジアから安価な製品が大量に輸入されるようになる。将来は,とうてい対抗できなくなるとふんだY氏は,工場を売却し,事業を廃業する。負債を整理してもなお,2000万円以上の預金が残った。自宅も売却する必要はなかった。Y氏は,現在喫茶店を経営しているが,開業資金は金融機関から調達し,2000万円の預金はいまでも手をつけていない。経営不振になった場合に備えているのである。
 一方,事業に失敗して再起不能だという起業家は,たいてい撤退の判断が遅れている。あまり淡泊に撤退していたのでは成功は覚束ない。粘りや執着が必要なときもある。しかし,経営が好転する根拠もないのに,借金を重ねることは,撤退をより困難にし,さらには法的整理に頼らざるをえない事態を招く。つまり,起業家の判断ミスが,自らを再起不能になるほど傷つけてしまうのである。

 2 失敗への対応

 事業を興し,維持・発展させていくうえで,最も重要なものは「信用」である。信用があれば,人も金も集まってくるし,信用がなくなれば人も金も離れていく。
 信用は誠意ある態度から生まれる。といっても難しいことではない。払うべきものは約束通り支払う。顧客の身になって考える。従業員に気持ちよく働いてもらう。当たり前のことが信用を築いていくのである。
 事業に失敗したときも同じである。失敗したという事実から逃げず,誠意ある対応をすれば,信用が失われるどころか,かえって増すことすらある。ある起業家は事業を整理したが,銀行からの借入金だけが残ってしまった。そこで,銀行に毎月の返済を減額してもらったうえで,遅れることなく完済した。彼が再び開業するに当たって最初に融資をしてくれたのは,条件変更をしてもらった銀行であった。
 図12では,廃業時点で負債が残ってしまった起業家が43.5%いた。彼らは,その負債をどうしたのだろうか。アンケートによれば,未払金,借入金ともに,再び開業するまでに清算している者が過半を占める(図16)。もっとも,負債の整理をつけるためには,早めに撤退し,損失をできるだけ小さくすることが必要になる。

図16 廃業時に残っていた負債の整理状況(%)

 誠意に関して付け加えれば,失敗に対する責任の取り方だけではなく,ふだんの経営姿勢が廃業のしやすさや,負債の整理,そして再起のしやすさにつながる。
 たとえば,図16をみると廃業時に残っていた未払金を放棄してもらった者が14.0%いる。金融機関や保証協会が中小企業向けの融資債権を放棄することはまずないが,一般債権者は債権の減額や放棄に応じてくれるケースが少なくない。ただし,その前提として,ふだんから誠意ある対応をしてきたこと,廃業後も逃げずに,責任をとる姿勢を明確にすることが条件となる。
 E氏は,事務機器販売会社を設立するも,手形詐欺がもとで倒産させてしまう。E氏は撤退の判断がなかなか下せず,高利の金にまで手を出しての倒産だった。当然ながら換金可能な資産をすべて処分しても,債務は清算できなかった。特に高利の借入が精神的にも大きな重圧となり,自己破産の準備を始める。
 だが,後は裁判所に申請するだけという段になって,弁護士に「また経営者として再起したいのなら,少しずつでもいいから債権者に返済していった方がよいのではないか」と言われ,思いとどまる。そして,債権者と相談し,弁済計画を立て直した。
 一般債権者の多くは,ふだんの仕事ぶりからE氏に対して好意的であり,多くの人が長期の返済計画を認めてくれたり,債権の一部ないし全部の放棄に応じてくれたりした。返済していくうちに,「もういいから」と言って債権を放棄してくれた経営者もいる。なかには,生活が大変だろうからと,金銭を渡してくれる債権者までいた。こうした債権者の協力で債務も清算でき,現在E氏は社員70名を率いるソフトウエア会社の社長となっている。
 債務超過の額が多ければ,法的整理もやむをえない。ただし,それは債権者に迷惑をかけることである。法律で認められている行為とはいえ,債務を履行しないことは商行為の基本ルールを破ることに変わりはない。起業家としての信用を失うのも当然である。その結果,再起が難しくなったとしても,自らまいた種であり,甘受するほかない。

 3 アメリカをめぐる誤解

 「はじめに」でふれた,「日本では事業に失敗すれば企業の資産だけではなく,個人の資産まで身ぐるみ剥がれてしまい,再起不能になってしまう。だから,起業に対して慎重になり,開業率が低いのだ」という見方は,アメリカとの対比がもとになっている。
 たしかに,アメリカの破産法(連邦倒産法チャプター7)が日本と比べて親債務者的なことは事実である。特に破産財団に組み込まれない資産の額は日本より大きい。詳細は州によって異なるが,たとえばカリフォルニア州では,最大5万ドルの資産が手元に残る。扶養家族がいる場合は,1人につきさらに7万5000ドルが加算される。とはいえ,それだけの資産があればの話であるが。
 なお,抵当権が設定されている資産は,当然に処分される。アメリカでは事業に失敗しても個人資産までは取り上げられないと主張する人がいるが,そういうケースもあるというにすぎない。
 一方,既述のとおり,日本では破産者の情報を入手することは困難であるが,アメリカでは民間の調査機関が作成するクレジットレポートを購入することで簡単に把握できる。クレジットレポートにはおおむね10年間記載され,銀行から融資を受けたり,クレジットカードを組んだりすることが困難になる。それだけ再起も難しくなる。
 そのため,アメリカでも廃業は,債務者にとって有利な法的整理ではなく,work out(私的整理)で行われるのが一般的である。弁護士費用のこともあるが,第三者にできるだけ迷惑をかけないというのは,どこの国でも当然のルールなのである。かりに,金融機関や他の企業に経済的損失を与えれば,「失敗はよい経験」ではすまされなくなってしまう。



 IX おわりに

 現在,破産法制を親債務者的に改正する方向で作業が進められている。その目的の一つは「何度でも挑戦できる社会」を実現することにある。
 しかし,日本はすでに「何度でも挑戦できる社会」である。失敗した起業家の再起を阻むものがあるとすれば,それは起業家自身に原因がある。たとえば,また失敗するのではないか,自分は起業家失格ではないのかといった思いこみは,再挑戦を躊躇させるだろう。
 もちろん,起業家としての適性や資質があるのかという問題はある。起業家としての適性に欠ける人は,再挑戦してもまた失敗する可能性が高いだろう。ただ,自らの欠点を自覚するならば修正も可能である。
 起業に失敗はつきものであり,失敗=失格ではない。再度起業に挑戦するかどうかは,起業家本人の意志に依存している。そのことを起業家は理解すべきである。
 また,国民生活金融公庫総合研究所のアンケート結果を見る限り,再起できるかどうかは,どのように撤退するかにかかっている。同じ失敗をするにしても,損失を最小限にくいとめ,取引先や金融機関など第三者にできるだけ被害が及ばないようにすることが求められるのである。
 とはいえ,言うは易く行うは難しである。自分の事業をどんなときも冷静に見つめ,撤退のタイミングを見極められる起業家は,そう多くはないだろう。何年も粘ってようやく成功する例もある。ただ,どうやっても事業を再建できないという事態は,どんな起業家にも感じられるはずである。そこで,より起業に挑戦しやすい社会をつくるには,大きな失敗を減らす仕組みや,撤退の判断を支援する仕組みが必要であると考えられる。
 たとえば,起業を志す人に対して,失敗のリスクを徹底して教えることである。起業家セミナーや起業を勧める書籍などは,多くが事業計画の書き方や会社設立の手続の説明に終始している。後は,成功事例に学べというくらいであろうか。
 しかし,新規開業の大半は残念ながら数年で消えていくと考えられる。アンケートでも43.7%が5年未満で廃業していた。したがって,事業がうまくいかなかった場合の対応をあらかじめ考えておくことが重要である。具体的には,起業家に自ら撤退基準を設けさせるように指導するとよいだろう。
 また,成功事例というのは案外学べることが少ない。というのも,成功者というのは,えてして誰もやっていないことを実現して成功しているからである。それがわかっただけでは具体的な行動にはつながらない。
 もし,事例を集めるなら失敗事例のほうが役立つだろう。失敗は類型化しやすいからである。ただ,知識としてもつだけで,はたして現実の問題に直面したときに,うまく対応できるかどうかに不安が残る。たんに事例を集めるだけではなく,何らかの実践的なトレーニングが必要かもしれない。
 コンサルタントを利用しやすくすることも重要である。民間のコンサルタント会社は,フィーが高すぎて,小規模な企業には利用しにくい。自治体による企業診断サービス等も行われているが,十分とはいえない。
 商工会議所・商工会の経営指導は,安価に利用できるコンサルティング・サービスであるが,企業数に比べて経営指導員の数が少なすぎる。充実が望まれるところだが,予算制約が厳しく,むしろサービスが後退しかねない状況にある。
 顧問税理士も,企業のコンサルティングを行っている。経営内容を把握しているだけに企業側も相談しやすいし,税理士側もアドバイスしやすい。
 もっとも,誰がコンサルタントになったとしても,廃業を勧めることは,なかなか困難である。まず,廃業を勧告することは,自分の顧客を減らすという利益相反行為だという問題がある。起業家も,経営改善のアドバイスならともかく,廃業はそう簡単に受け入れない。それでも,廃業が最善であると判断したのなら,説得すべきであろう。そして,再度起業してもらったほうが互いの利益にもなるはずである。もちろん,撤退の判断を支援するよりも,そもそも失敗を避けるためにコンサルタントを利用するほうが好ましいことは言うまでもない。


 たけうち・えいじ 国民生活金融公庫総合研究所上席主任研究員。主な著書に,『中小企業金融入門』(共著)東洋経済新報社(2002年)など。中小企業論専攻。