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(著者抄録)
近年のキャリア意識の目覚めは喜ばしいことである。しかし、キャリア・カウンセリングを論じようとする場合、それを単なる手法や技法としてとらえるべきではない。日本においては、カウンセリングそのものが正しく認識されていないために、キャリア・カウンセリングはカウンセリングではないかのごとく誤解されている面が多々ある。長年にわたり企業におけるキャリア開発(Career Development)に携わり実践してきた実務家の立場から、日本においてキャリア・カウンセリングが健全に発展することを願う者の一人として、いくつかの課題を提起したい。
(論文目次)
I はじめに
II キャリアとキャリア開発
III 導入で誤った日本のキャリア開発
IV キャリア開発の基本理念
  1 個人と組織の共生
  2 自己理解
  3 相互尊重・相互依存・相互選択
  4 自己決定・自己責任
V ヒューマン・サイドにおけるパラダイム・シフト
  1 企業の人間観
  2 その人のために、その人を大切にする
VI キャリア・カウンセリング
VII キャリア・カウンセリングの企業内導入

I はじめに

 キャリア・カウンセリングはキャリア開発上の課題を明らかにしようとしたり,課題を解決しようとする際の心理的な援助活動である。したがって,キャリア開発が前提となってはじめて成り立つものである。しかし,日本の企業ではこのことが正しく理解されていない。例えば,リストラの際に退職を説得する面接やアウトプレースメントをすることなど,カウンセリングとは言えないことをキャリア・カウンセリングと言えば体裁がいいからという理由でキャリア・カウンセリングと呼んでいる。まさにキャリア・カウンセリングという言葉だけが一人歩きしている。いかにも日本的傾向であると言えよう。
 ところで,キャリア開発とはCareer Developmentの訳語であり,キャリア発達とも訳される。したがって,キャリア発達とキャリア開発はほぼ同義語として扱われており,実務的な立場ではキャリア開発,学術的な立場ではキャリア発達と表現されることが多い。
 似たような表現としてキャリア形成,キャリア・デザインという表現もあるが,キャリア開発やキャリア発達が内的プロセスを重視するのに対して,キャリア形成やキャリア・デザインは外的なものを意味していることが多い。
 日本においては,キャリアという概念を正しく認識する必要がない状態が50年以上も続き,バブル経済の崩壊とともにキャリアに対する認識が急務になったといってもよいであろう。つまり,キャリアという概念が存在していなかったのである。したがって,キャリアについてもキャリア開発についても正しく認識されていない面がある。キャリア・カウンセリングという言葉だけが一人歩きし始めている原因はここにある。
 本稿では,筆者の,企業においてキャリア開発とキャリア・カウンセリングに取り組んできた経験をもとに,実務家の立場から日本におけるキャリア・カウンセリングのあり方について述べてみたい。
 また,言うまでもなく,キャリアは企業や組織で働く人だけの課題ではない。自営業,あるいは農業・漁業・林業などに従事している人,あるいは家事に従事している人や学生にとっての課題でもある。しかしながら,日本においては何らかの形で組織に所属している人口が多いため,本稿では主として個人と企業との関係の中で考えるキャリア開発について,単なるアメリカの真似事ではなく,日本におけるキャリア開発およびキャリア・カウンセリングはいかにあるべきかという視点で述べることとする。


II キャリアとキャリア開発

 キャリアとキャリア開発の概念については,主として欧米の学者・研究者による多くの先行研究があるが,筆者なりに実務家の立場から説明してみたい。
 すなわち,キャリアとはその人の生き方,人生(Life)の中で,有償・無償に関係なく何らかの形で「働く」ということにかかわっている部分,つまりワーキング・ライフ(Working Life)である。そして,キャリア開発とは,自分のキャリアをどのように展開し,自分が望むワーキング・ライフを現実のものとするためにどのように取り組むか,そのプロセスである。
 ワーキング・ライフのワークは文字通り「働く」という意味であり,具体的な職務や業務ばかりではなく,報酬が伴わないような活動(Activities),例えば文化活動,ボランティア活動,音楽活動,政治活動,宗教活動なども含まれると考えたい。人によっては,自分にとって働く意味・意義を感じるのは会社の仕事ではなく,社外で行っている活動であり,それがライフ・ワークとなっている,という場合もおおいにありうるからである。
 つまり,キャリアとは過去の経歴や職歴・経験などや具体的な職務・業務などばかりではない。むしろ,重要なことは,過去についていうならばそこで何を得たかということであり,将来については,なぜその仕事を選ぶのか,それが自分にとってどのような意味があり,どのような意義があるのかを確かめることである。
 さらに,E.シャインが提唱している内的キャリアと外的キャリアというとらえ方は,日本におけるキャリア開発を考える上で非常に有意義である。すなわち,内的キャリアとは自分にとって働くことの意味あるいは意義であり,外的キャリアとは具体的な職務,業務,職種,業種などを言う。キャリア発達的な観点から見れば,日本の場合,現時点で特に重視しなければならないのは,外的キャリアよりも内的キャリアであろう。
 そもそも,なぜ働くのか,何のために働くのか,なぜその仕事をやりたいのか,というような自分にとっての働くことの意味や意義,つまりその人にとっての働きがい,やりがい(Quality of Working Life: QWL)を無視したところでキャリアを取り上げることはできない。換言すれば,内的キャリアを考えずにキャリアを考えることは困難であり,内的キャリアが不明確なままでは具体的な仕事や職種・業種という外的キャリアも見えてこないのである。
 また,当然のこととしてキャリアはその人の生き方とも関連するものであるから,その人にとっての生きがい(Quality of Life: QOL)や価値観としての人生観などとも関連してくる。
 そして,キャリア開発とは以上のようなことを自分の中で明確にするプロセスでもある。すなわち,“Who am I ?”,“Where am I going ?”,“How do I get there ?”という三つの問いを自分に投げかけてその答えを出していくことである。Career Developmentのdevelopmentは気づき,発見,成長という意味であるから,キャリア・カウンセリングとはクライエントが自己理解を深めるための幅広い援助行為ということになる。無意識の意識化といってもよい。この点でも,キャリア・カウンセリングはまぎれもなくカウンセリングなのである。自己理解が深まったクライエントは,漠然としていたことが明確になり,自分で答えを見いだし,自分で歩き出すことができる。
 キャリア・カウンセリングとは,適切なキャリアの概念および適切なキャリア開発の考え方をベースにしながら,クライエント自身が自分にとってのキャリア,自分にとってのキャリア開発,キャリア開発に取り組む際の課題など自分自身のテーマと向かい合うとき,あるいは課題を解決しようとするときの心理的な援助活動であり,支援活動なのである。
 最初に述べたように,日本においては,キャリアという概念が長い間存在していなかった。そのために正しく認識されていないところが多い。例えば,キャリアは企業や組織で働く人特有のテーマであるかのごとく論じられたり,職歴・履歴・業務・職務という意味でしかなかったり,あるいはキャリアを直ちに転職あるいは職務や業務と結びつけたり,ほとんど外的キャリアとしてしか理解されていないのが日本の現状である。また,官庁ではキャリア,ノン・キャリアというような差別的表現が平気で使われてきた。


III 導入で誤った日本のキャリア開発

 キャリア開発が日本の産業界で注目され始めたのは1970年代の後半である。従来の日本の企業にはなかった新しい考え方として,CDPということばが人事の領域でのブームにもなった。
 キャリア開発プログラム(Career Development Programs: CDP)ということばもこのときにはじめて知られることとなった。CDPとは,前述したようなキャリアとキャリア開発の概念に基づいて行われる人的資源管理(Human Resources Management: HRM)や人的資源開発(Human Resources Development: HRD)のための様々な制度やシステムやプログラムのことである。自己申告,ジョブ・ローテーション,キャリア・パス,社内公募などが最も代表的な例で,これらの制度を日本の企業は「CDPの導入」として取り入れた。
 しかしながら,導入した企業のほとんどが前述したような本来のキャリア開発の概念を理解せず,単なる制度としてとらえてしまった。そのため,組織の都合だけを優先した,形だけのCDPとなってしまった。その結果,自己申告制度は全く形骸化し,ジョブ・ローテーションも定期的に機械的な人事異動を行うだけのことになってしまい,さらにキャリア・パスにいたっては,会社が会社の都合だけで設計してそれを押しつけるだけのキャリア・パスとなってしまった。
 それは,日本の社会全体が右肩上がりという当時の社会環境によるところが大きいと思われる。つまり,右肩上がりの時代を背景に,人事のスタッフもHRMやHRDの本質を追求するなどという手間がかかることをせずに,単に制度を運用していれば済んでいたからである。
 そもそもHRMとは何か,HRDとは何か,人間の成長とは何か,モチベーションとは何か,そのためには何をどのように考え,何が必要なのか,という本質の追求は青臭い議論として敬遠され,遠ざけられた。他社の例を真似ていればよかった。よく言えば社会的必然と言えるが,辛辣に言えば“結果オーライ”という状況にあぐらをかいていたということになる。したがって,何のための制度なのか,それが組織にとってはどのような意味があるのか,個人にとってはどのような意味があるのか,ということが理解されないまま形だけが存続するということになってしまった。
 個人の場合も,他人に自分の人生を決めてもらいたいなどと本音では思っていなかった。しかし,自分は将来どうなりたいのか,自分にとって働くことの意味・意義は何なのか,なぜこの会社で働くのか,ということ(キャリア開発の本質)を真剣に考えることを求められなかったため,自分自身の将来のことを自分の問題として考える機会がなかった。“結果オーライ”の時代が40年以上も長く続いてしまったことによる弊害ともいえる。
 キャリア開発に真剣に取り組もうとしていた少数の人事関係者や学者・研究者の中にはCDPに対してマイナスのイメージを持っている人が少なからず存在している。その理由は以上のようなことからではないかと推察される。


IV キャリア開発の基本理念

 1 個人と組織の共生

 前述の通り,従来の日本の企業におけるキャリア開発は魂(理念や考え)のない形(制度)だけのものになってしまった。その結果,多くの日本の企業では組織の都合のみが一方的に優先され,個人としての存在が軽視されてしまった。
 個人と組織という関係の中で考えるキャリア開発とは,個と組織の共生(WIN: WINの関係)を目指すことである。個と組織の共生といっても,真の共生関係を構築するにはかなりの努力が必要であり,多くのエネルギーを必要とする。特に日本の企業の場合,多くの経営者は表面上「変化の時代,変革が必要」と言いながら「これまで,それでうまくやってきたではないか」という気持ちが心の底にあるため,新しい概念に対しては大きな抵抗が生まれる。つまり,「過去の成功は将来の成功を保証するものではない」と理屈ではわかっていても,ついつい過去の成功体験をもとに比較し,判断してしまうことが多い。
 また,人間は野菜のように促成栽培ができないことを理解できていないために,人をモノやカネと同様に扱い,人材育成にもスピードを要求してしまう。人材育成には時間がかかるのである。時間がかかるため,将来を見越した教育・訓練が求められる。従来はテクニカル・スキルの訓練に資源を投入してきたが,これからはヒューマン・スキルとコンセプチュアル・スキルの訓練にも資源を投入すべきであろう。
 しかし,すでに数社の事例で明らかなように,日本の企業においても,正しいキャリア開発の概念のもとに個と組織の共生関係が構築されつつある。個と組織の健全な共生関係を構築する努力を継続することによって,社員は一人ひとりが大切にされているという実感を得ることができ,自分の人生の主人公は自分であり責任者は自分自身であるという認識を自然に持つことが可能になっている。それが自己実現を目指そうとするエネルギーとなり,組織を活性化するのである。これがキャリア開発の目指すものであり,そのために必要とされる種々の制度やプログラムが本来のCDPである。
 また,HRM/HRDは集団管理の側面と個別管理の側面という二つの側面を持っている。しかし,多くの日本の企業ではほとんどが集団管理としてとらえてきたために,個人にはほとんど目を向けられていない。
 戦後の復興期から今日に至るまでの長い間,日本という国としての命題が量的拡大と製品の質的向上であったため,集団管理に注力せざるをえなかった。また,個人と組織の関係についての認識も経営者のみならず一般の社員ですら,“個人と組織の利害は相反するもの”という概念が支配的であった。それはある種の社会的必然であったのかもしれない。
 個と組織の共生は,“個人と組織の利害は相反するものではない”という従来とは逆の概念が基盤となる。もちろん,個人のニーズと組織のニーズは異なることがある。そのために両者のニーズを丁寧にすり合わせる必要があり,それによって共生が可能になる。これからの日本の企業は,個と組織がきちんと共生できるような関係,つまり組織の中でも個人が個人として尊重され,個が個として存在できるような関係を構築しなければ個と組織の信頼関係を失う可能性がある。つまり,一人ひとりが個として尊重されてはじめてその人はその人らしくいることができ,その人らしさが発揮される。それが個性であり,その個性が創造力となるのである。
 経営者は誰もが適材適所ということを口にする。しかし,適材適所とは「やりたい人で,かつその仕事ができる人にその仕事をやってもらうこと」であることをわかっているだろうか。まず重要なのは「やりたい人(場合によってはやらせたい人をも含む)」である。したがって,まず一人ひとりが何をやりたいのか,なぜそれをやりたいのかを明確にする必要がある。次に,自分はできるのかできないのか(場合によっては,できそうか,できそうでないか)を知らなければならない。これは個人が自己理解を深めることを意味する。そして同時に,組織は誰が,何を,どうしてやりたがっているのかを正確に把握する必要がある。ここで重要な役割を持つのが自己申告である。さらに,組織は誰ができるのか(できそうなのか),誰にやらせたいのか,を明確にしなければならない。これがニーズのすり合わせである。
 すなわち,個人と組織の関係の中で考えるキャリア開発とは,個人と組織の共生を目指すことであり,それは究極の適材適所を目指すことであるといってもよいであろう。

 2 自己理解

 前述のように,個人と組織という関係の中でのキャリア開発とは,個人と組織の共生を目指すということである。そのためには,個人も企業もキャリア開発の理念や本質を十分理解する必要がある。
 個人としての自己理解とは先に述べたように三つの“?”に自分で答えを出していくことである。そのプロセスが個人にとってのキャリア開発である。しかし,この問いに対する答えを出すことは決して容易なことではない。そこで専門家の支援・援助が必要となってくる。キャリア・カウンセリングは,この答えを見いだそうとするときの支援・援助活動であり,キャリア・カウンセラーはその活動に従事する専門家である。そのために,キャリア・カウンセラーとなるためには専門的な教育と訓練を受ける必要がある。キャリア・カウンセリングについての詳細は後述する。
 一方,企業としての自己理解とは他社を模倣するのではなく,まず自社の経営方針に基づく人事戦略としてどのような人間観のもとでどのような人材育成を目指すのか,という点について十分な時間をかけて検討した上で,人事に関する基本方針を構築することである。その上で,自社におけるHRM/HRDにとってどのような制度やプログラムが必要かを検討し,自ら設計できるようになる必要がある。コンサルタントに丸投げをするのではなく,まず自分たちで考えることが肝要である。なぜなら,人材育成は自社(自分たち)の問題であり,他社の問題ではないからである。コンサルタントに丸投げをするのは,人事スタッフが不勉強であることの証左である。この文脈においては,キャリア・カウンセラーはコンサルタントとして,適切な情報提供や制度改善についての適切なアドバイスができることが望ましい。
 つまり,個人にとってのキャリア開発とは長期的な自己ゴールの達成,すなわち自己実現とそのプロセスであり,企業にとってのキャリア開発とは長期的な企業戦略に基づく人事戦略に沿って一人ひとりに目を向けたHRM/HRDの取り組みということになる。この二つが統合されることによって個人と組織の共生は可能になる。

 3 相互尊重・相互依存・相互選択

 個人と組織の共生を目指すときの原則は相互尊重・相互依存・相互選択である。一つ目の相互尊重は前提中の前提であり,詳細な説明は要しないであろう。相手が個人であるか企業であるかを問わず,お互いがお互いを尊重し合うことである。職場における上司は部下にとってその企業の代表であり,代理人ということになるが,1人の個人でもある。上司である前に1人の個人として部下と向かい合えるかが問われる。当然そこには役割葛藤が存在するであろう。その葛藤から逃げるのではなく,その葛藤を克服しなければならない。それがヒューマン・スキルなのである。
 相互尊重は上司対部下の関係のみならず同僚同士でも同じである。また,相手を尊重するためにはまず自分自身を尊重できなければならない。自分を尊重できない人間が他者を尊重することはできない。自分を尊重できない人間(自己を卑下する人間)からは,何を言われても本当に尊重されている気にはならない。したがって,相互尊重とは自己尊重・他者尊重の両方を意味する。
 二つ目の相互依存とはもたれ合うことではない。個人と企業はお互いがお互いを必要としているという認識である。企業が一方的に個人を必要としているのでもなく,個人が一方的に企業を必要としているのでもない。相互依存とはお互いがお互いを必要とする関係であり,お互いに安心して依存し合える関係を意味する。よい意味でお互いを利用し合う関係でもある。お互いがお互いを利用し合うことによりお互いが成長しようとする関係ということもできる。
 三つ目の相互選択とは互いに相手を選ぶ権利があり,その権利を認め合うということである。企業にのみ選択権があるのではない。個人にも仕事を選ぶ権利や企業を選ぶ権利があり,同時に企業も適任者を選ぶ権利がある。雇用関係を結ぶ,雇用関係を打ち切るという大きな選択もあれば,人事異動や担当業務の変更などの比較的小さな選択もある。お互いが選び,選ばれる関係である。当然のことながら,そこにはある種の緊張関係を伴う。

 4 自己決定・自己責任

 自己決定・自己責任はキャリア開発の大前提である。前述のような関係,つまりWIN: WINの関係を構築することが個の自立と自律を可能にするが,個の自立と自律を求めることは単に自己責任を問えばよいということではない。本人が納得できないところで自己責任を求められても責任をとる気にはならない。自己責任を求めるためには,その前に自己決定の尊重が前提とされなければならない。
 自分の生き方を,自分の人生を他人に決めてもらおうと思っている人間はいないであろう。他人の言いなりに生きたいと思う人間はいないはずである。自分がどうなりたいかは自分で決めることであり,自分で決めねばならないことであり,自分で決めていいことである。そして,自分が決めたことであるから自分で責任をとらねばならない。あるいは自分で責任をとればいいのである。つまり,自分で決定したことだからこそ自己責任なのである。
 従来,日本の企業は社員に対して帰属性を強く求め,自分の将来のことについて自己決定することを求めなかった。つまり,企業が社員を丸ごと抱え込み,自分の将来を自分の問題として考えることをさせなかった。いわば社員の将来については企業が責任をとっていた。したがって,本人が自己決定できるような環境や状況の整備も行っていなかった。その結果の象徴的な現象が定年と同時に起きる自己喪失である。
 窮余の策として始められたのがライフ・プラン研修と呼ばれるものであった。しかし,これはキャリア開発という観点から見れば,その本質からは少し外れたものと言わざるをえない。なぜなら,ライフ・プラン研修のほとんどが退職後の過ごし方という内容だからである。「あなたの生き方を教えてあげます」というものである。教えてほしい人がいるのだから教えてあげるというのは一見間違っていないように見える。しかし,どこかおかしい。自分の人生であるはずなのに自分で自分の生き方を考えられない,という根本的な問題の解決にはなっていないからである。


V ヒューマン・サイドにおけるパラダイム・シフト

 1 企業の人間観

 これまで述べてきたことは特別なことではない。至極当然のことであり,当たり前のことである。しかしながら,従来の日本の企業を見ると当然のことが当然のことにはなっていなかった。その原因の一つは企業のヒューマン・サイドにおけるパラダイムが旧態依然としていることにあると思われる。その代表が企業の人間観である。
 パラダイム・シフトが提起されてかなりの時間が経過し,今やパラダイム・シフトということばは死語となっているかもしれないが,日本の企業の人間観というパラダイムは,戦後50年以上経た今もほとんど変わっていない。「人が財産」「人を大切にする」と言いながら「ヒト,モノ,カネ」という表現を何の抵抗もなく使っている。このことからもわかるように,日本の企業は人をモノやカネと同列に扱い,個を尊重してきていない。人を大切にしたのはあくまでも会社のため,組織のためであり,その人のためにその人を大切にしたわけではなかった。
 さらに,大切にしたのは同質性・均質性・共通性であった。絶えず同じであること,平等であることが大事なことであった。したがって,個々の違いは容認されず,異質性・異能性・多様性は排除されてきた。その結果として日本の学校教育も個性を育む場ではなく,没個性を生む場となってしまった。実社会である企業が個性を求めず,あくまでも同質性や均質性を求める以上,教育現場として実社会のニーズに応えようとしたわけである。当然と言えば当然のことである。
 経営者の中には学校教育を批判する人がいるが,その批判は的外れと言わざるをえない。企業が本当に個を尊重するようになれば,学校教育も必然的に変わる。企業が本当に個を尊重するようになれば,家庭における親子関係も変わるであろう。なぜなら,親のほとんどが企業人だからである。
 このように,日本においては企業の人間観が変わることは社会に大きなインパクトを与えるということを,企業の人事部門は認識すべきである。そのためには,人事部門のスタッフは人間そのものについて学ぶ必要がある。
 1960年代から70年代にかけて,日本企業の人事スタッフは,まず人間そのものを研究した。人事の対象は人間だからである。しかも,精神論ではなく,科学的に学んだのである。日本において行動科学という研究領域が認識されたのはこのころである。そもそもHRM/HRDとは何なのか,どうあるべきなのかという本質論を追求した。
 しかし,その後日本経済は順調に発展し,いわゆる右肩上がりの状態が40年以上続いたために,本質論へのこだわりは次第に必要とされなくなり,人事部門スタッフは単に制度を管理していれば事足りるようになってしまった。つまり,結果オーライの時代においては青臭い本質論は軽視され,いつしか無視されてしまったのである。現在,人事部門のスタッフで心理学を学んでいる人がほとんどいない。ほとんどのスタッフはマズロー,ロジャース,マグレガー,ハーツバーグを知らない。カウンセリングについてもカウンセラーと論じ合うことができない。この状況こそが人事の本質を学んでいないことの証左であろう。組織の活性化あるいはモチベーションは人間に関する基本を知らずに理解できるはずがない。
 これらの名前を挙げると,「それは古い,古典的」という反応を示す人が多いが,流行り物好きな日本のコンサルタントが日本に持ち込むカタカナ語の概念の底流として,前述した学者・研究者のコンセプトが流れていることは知られていない。ちなみに,アメリカで一流とされる企業の人事部門の責任者でこれらの名前を知らない者はいないし,その意味するところを理解していない者もいない。
 企業の人間観が変わることは企業風土が変わることを意味する。それを実行するのは経営者であり,人間に関するプロであるはずの人事部門でもある。

 2 その人のために,その人を大切にする

 そこで,キャリア開発を考えるにあたり,日本の企業がまずやるべきことは人間観を点検し直すことである。テーラー時代の人間観,すなわちX理論的人間観でいくのか,Y理論的人間観でいくのかである。その上で,タテマエとホンネを使い分けることをやめることであり,組織のために人を大切にするのではなく,その人のためにその人を大切にするということである。
 その人のためにその人を大切にするという表現は,心理学を少しでも学んだ人にとってはわかってもらえるはずであるが,そうでない人にとってはわかりにくいかもしれない。「企業はそんな慈善事業のようなことはできない」という反発も予想される。しかしながら,少しだけ人間のこと,特に動機づけに関して学習すれば,これが慈善事業ではなく結果的にその企業を強くすることになるということが理解できるはずである。なぜなら,会社のために大切にされているうちは,自分が本当に大切にされているという実感は得られない。しょせんは会社のためだからである。
 ところが,自分のことを自分の立場になって大切にしてもらえた場合,その人は本当に自分は大切にされていると実感するのであり,本当に必要とされていると実感するのである。その実感が本人を内発的に動機づけることになり,必要とされていると感じればそこで貢献したいと思うのである。それは,結果的にロイヤリティにつながる。つまり,そのような人は納得してその会社にいる,その会社にいたいからいる,ということになる。そのような人間で組織されている企業は,それぞれの個が文字通りの個性を発揮し合い,非常に高いワーク・モチベーションを示すようになるのである。これはA.マズローの自己実現欲求に火をつけることでもあり,F.ハーツバーグが主張する内発的動機づけである。
 このような状況をつくりだすためには同質性・均質性・共通性だけではなく,個人の場合でも組織の場合でも異質性や異能性や多様性も併せて大切にしなければならない。つまり,共通項としてくくれるところだけを大切にするのではなく,共通項としてくくれない部分も同時に大切にするということである。一人ひとりは違う存在なのであり,違って当たり前であろう。当たり前のことを当たり前のこととして認め合い,その違いを大切にするところから真に公正な自由競争が可能となり,自己実現への欲求が芽生え,真の創造性が生まれるのである。
 グローバリゼーションとは多様性を認めることであるから,組織あっての個人であるとか,個人と組織の利害は相反するものであるという古いパラダイムはヒューマン・サイドにおけるグローバリゼーションとはほど遠いものとなる。


VI キャリア・カウンセリング

 先に述べた通り,個人にとってのキャリア開発とは“Who am I ?”,“Where am I going ?”,“How do I get there ?”と自分に問いかけ,自分でその答えを出していくことであり,自己ゴールの達成へのプロセスである。しかも,それぞれの自己ゴールが会社にとっての貢献にもなることを目指すことが共生である。そのためには自己理解から始めなければならない。自己理解とはこの三つの問いの答えを自分で出していくことである。自分にとって大切なものは何で大切でないものは何か,自分は何ができて何ができないのか,自分は何をしたいのか何をしたくないのか,自分はどうありたいのか,さらには自分にとって働くことの意味・意義とは何なのか,などをある程度明確にした上でなければ自己ゴールを明確にすることはできない。
 しかし,先にも述べたように,この作業はそれほど簡単な作業ではない。キャリア・カウンセリングとは,キャリア開発上での課題に取り組む際に,クライエントとの対話を通して本人の自己決定を心理的な側面から支援する活動であり,キャリア開発(発達)理論を土台とした開発的なカウンセリングである。広い意味ではガイダンスなども含む場合がある。
 しかし,あくまでもキャリア・カウンセリングはカウンセリングであり,カウンセリングではないガイダンスとは区別されなければならない。ちなみに,キャリア開発に関する研究と実践が進んでいるアメリカでは,カウンセラーは公的資格となっており,キャリア・カウンセリングを行える者がキャリア・カウンセラーである。カウンセラー以外の者はキャリア・カウンセリングを行うことができない。医師の資格を持っていない者は医療行為を行うことができないのと同じように,カウンセラーの公的資格を持っていない者はカウンセリングを行うことはできないのである。
 ガイダンスやコーチングなどもキャリア開発の支援活動ではあるが,テーマと質の違いから,それらはファシリテーションとし,それを行う者をファシリテーターというのが妥当であろう。キャリア開発ファシリテーション,キャリア開発ファシリテーターということになる。ちなみに,厚生労働省が発表したキャリア・コンサルティングも英語的にはキャリア開発ファシリテーションというべきであるが,そのねらいは個人主導のキャリア形成を支援することであり,行政が社会的インフラと位置づけてその普及に取り組むということ自体は歓迎すべきことである。
 昨今の日本の産業界では,いわゆるリストラというコスト節減を目的とした人員整理の対象となった人たちの再就職支援・指導をキャリア・カウンセリングと誤解している傾向が見られる。カウンセリングについての知識もスキルも持たない人を,単に耳当たりがいいという理由でキャリア・カウンセラーと称したり,単なる情報提供やガイダンスしか行っていないにもかかわらず,キャリア・カウンセリングと公言したりするのはいかがなものであろうか。
 もし,クライエントがカウンセリングを期待している場合,カウンセリングができない者はカウンセラーにバトンタッチ(専門用語でリファーという)するのが職業倫理であるが,それが行えないとすればクライエントの気持ちを裏切っていることになり,職業倫理に反することになる。本人の気持ち,思い,あるいは本人の意識など,いわゆる内的キャリアがほとんど無視されている場合,その面接はもはやカウンセリングではない。
 キャリア・カウンセリングを実践するには,まずカウンセリング心理学を学んでカウンセリングとは何かを理解し,カウンセリングとカウンセリングでないものとの違いを明確に理解することが求められる。その上で,しかるべき訓練を受けてカウンセリング・スキルを習得すること,さらにキャリアとは何か,キャリア開発(キャリア発達)とは何かを理解してカウンセラーとしての自分の人間観およびキャリア観を点検することがミニマム要件として求められる。
 つまり,キャリア・カウンセラーはまずカウンセラーとしての人間観とキャリア観が問われ,同時にカウンセラーとしてのあり方が問われる。そして,クライエントのニーズに的確に応えるためには,自分が行っていること(クライエントが求めていること)はガイダンスなのかカウンセリングなのかということを,その場で絶えずわかっていることが極めて重要になる。それがクライエントのニーズに応えるということである。
 現在,多くの企業が急務として抱えている従業員の再配置や再就職の支援という場面においても,本来のキャリア・カウンセリングが行われることにより,入社後1年以内に約半数近くが辞めてしまうような現象は激減するはずである。


VII キャリア・カウンセリングの企業内導入

 最後に,キャリア・カウンセリングの企業内導入について,効果的な事例を紹介したい。
 これまで繰り返し述べてきたように,キャリア・カウンセリングの前提はキャリア開発にある。したがって,キャリア・カウンセリングの企業内導入にあたってはCDPの潤滑油としてこれを位置づけることによってCDPが生きてくる。
 その際に最も効果が期待されるのは,キャリア開発ワークショップ(CDW)をCDPのコア・プログラムとして位置づけることである。その理由は,このCDWでは,本物のキャリア・カウンセラーによるキャリア・カウンセリングが併設され,参加者は自分にとってのキャリア開発とは何かを学ぶことができるからである。さらに,このCDWは内的キャリアを中心テーマとし,参加者の自己決定にいたるまでの心理的プロセスを大切にしながら,セルフ・カウンセリングとグループ・アプローチによる自己分析を通して自己理解を深める場となっている。そのため,参加者は自分のキャリアを内的なものとして理解し,自分にとってのQWLあるいはQOLを考え,自分なりに納得しながらキャリア・プランニングの手がかりを得ることができるようになっている。
 このCDWにおけるセルフ・カウンセリングはカウンセラーによるカウンセリングに近い効果があるためと,カウンセラーがこのCDWの内容をわかっているために,併設されているキャリア・カウンセリングは,通常の面接よりはるかに高い面接効果をあげている。実際に,このCDWを実施している企業においては5年以内で企業風土が変わり,若年者はもとより中高年者にも歓迎されている。再配置や再就職支援の場面においても同様の効果が実証されている。
 社員がいつでもキャリア・カウンセラーに相談することができるような体制を整えることが望ましいことは言うまでもない。しかし,企業内に専任のキャリア・カウンセラーを置くことは難しい現状で,キャリア・カウンセリングを効果的に実施しようとするとき,このCDWは極めて貴重な場となる。従来からのライフプラン・セミナーに加え,あるいはそれに代わるものとして,このCDWを実施する企業が増えてきているのはその証左であろう。

 いずれにしても,日本企業におけるキャリア開発はキャリア・カウンセリングをやればいいというものではない。キャリア・カウンセリングをはじめとしてMBO,賃金体系,処遇体系など数種のプログラムが連動し,統合されなければキャリア開発の効果は得られ難いのではなかろうか。HRM/HRDスタッフのご健闘を期待したい。


 こんの・ともゆき (NPO)日本キャリア・カウンセリング研究会副会長。行動科学研究所代表。主な著書に『事例 キャリア・カウンセリング』(共著)生産性出版など。キャリア開発および管理者行動の心理臨床的アプローチ専攻。
E-mail:txkonno@aol.com