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(著者抄録)
 最近、ストレスを抱えている労働者が増えており、平成14年には6割にのぼっている。行政からは、精神障害の労災補償の判断指針が公表されたり、メンタルヘルス指針も公示されるなど、メンタルヘルス対策の重要性がうたわれている。しかしながら実際の現場では近年の不況により、ストレス要因である過重労働を削減することが困難であったり、ストレスを軽減するための適正配置をできる選択肢が減少してきている等の問題がある。また、自殺者の急増が話題となっているが、うつ病をはじめとするメンタルヘルスの問題が関与している例も少なくない。事務所のリスクマネジメントとしても、労働者の士気を高めるためにも、今後、職場のメンタルヘルスはますます重要となるであろう。
(論文目次)
I 職場におけるメンタルヘルスの現状
II THPと快適職場の形成
III 「メンタルヘルス指針」の概要
IV メンタルヘルス対策の困難さ
V 精神障害における労災補償
VI うつ病、自殺に関する対策
VII 復職に関する課題

参考文献

I 職場におけるメンタルヘルスの現状

 厚生労働省が5年ごとに行っている「労働者健康状況調査」によると,仕事や職業生活で「強い不安,悩み,ストレスがある」労働者の割合は,調査のたびに増加を続けており,平成9年には62.8%に達した。平成14年では61.5%とわずかに減少しているものの,依然として高い水準が続いている(図1)。

図1 自分の仕事や職業生活での強い不安,悩み,ストレスがある労働者の割合の年次推移

 このような現状のなか,事業所は労働者のメンタルヘルスに関してどのような取り組みを行っているのだろうか。先に挙げた平成14年労働者健康状況調査によると,何らかの対策を実施している事業所は23.5%で,平成9年の26.5%よりは減少している。しかしながら,その内容をみると,相談(カウンセリング)の実施(55.2%),管理監督者教育(28.9%),一般労働者教育(35.7%)など,後述するメンタルヘルス指針が求めるような活動の多くについては実施している事業場の割合が高くなっている。メンタルヘルス対策に取り組んでいる事業所のうち,「専門スタッフがいる」とする事業所は49.8%となっている。しかし,専門スタッフの人的配置はなされていても,専門スタッフにどの程度の専門性があるのか,また事業所において実際どの程度機能しているのかは,甚だ心もとないのが現状であると思われる。


II THPと快適職場の形成

 行政が初めてはっきりとした形で職場のメンタルヘルス対策に言及したのは,周知のように昭和63年の労働安全衛生法の改正によってである。トータルヘルス・プロモーション・プラン(THP)の呼称で知られる労働者の健康保持増進対策の一環として,健康測定の結果必要と判断されたか,あるいは本人が希望した場合に,「心理相談」が行われる。「心理相談」の担当者(心理相談員,のちに心理相談担当者と呼称が変更された)の育成のための講習カリキュラムやその受講資格についても,「事業場における労働者の健康保持増進のための指針」で示された。
 心理相談担当者の活動は,あくまで精神疾患に罹患していない労働者に限定されており,すでにその発症が認められる労働者については,専門医に紹介されるなどの措置が講じられることとなっている。具体的には,ストレスによる心身の状態の変化に対する本人の気づきを援助したり,心身の緊張を軽減するためのリラクセーションの指導を行ったりすることなどが挙げられる。心理相談担当者の研修は3日間であり,受講に一定の資格を設定してはいるものの,その程度の研修でメンタルヘルスケアの実務にあたらせることの是非については,当初かなりの議論があり,現在もなお若干意見が分かれているところである。臨床的な活動を厳に戒めるべきであることは当然であるが,職場で労働者の心の健康問題を扱う重要性を啓発し,その機運を高め,産業看護職や衛生管理者に対して,活動の動機づけを進めた点では高く評価されるべきであると考える。
 また,平成4年には,「事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関する指針」(快適職場指針)が公示されており,そのなかには,休憩室等の心身の疲労の回復を図るための施設の設置・整備や職場における疲労やストレス等に関し,相談に応じることができるよう相談室等を確保することが,事業者の努力義務として掲げられている。
 THPは個人への働きかけ,快適職場づくりは職場環境への働きかけを主眼としているが,ともにメンタルヘルスの一次予防に該当する取り組みとして位置づけられる。


III 「メンタルヘルス指針」の概要

 平成12年8月,厚生労働省は,事業場におけるメンタルヘルス対策が適切かつ有効に行われるために,その原則的な実施方法について総合的に示した「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」(以下,「メンタルヘルス指針」と略す)を公示した。本指針は,過去にいくつかの事業所で試行され,実施されてきた先駆的な取り組みを踏まえて作成されたものであり,多くの事業所にとってメンタルヘルス対策を進めるための標準的な指標となっている。
 メンタルヘルス指針が求める活動は,THPや快適職場づくりと別のものではない。それらの考え方や具体的な取り組みは,指針の枠組みのなかで生かされるべきであると考えられる。
 メンタルヘルス指針では,対策が中長期視点に立って,継続的かつ計画的に行われることが重要であることから,まず職場の実態と問題点を明確にし,問題点を解決する具体的な方法などについての基本的な計画を策定するように求めている。そこで定められる事項としては,(1)体制の整備,(2)問題点の把握と対策の実施,(3)必要な人材の確保,(4)労働者のプライバシーへの配慮,(5)そのほか必要な措置,の五つが挙げられている。また,その計画のなかで,事業者みずからが,メンタルヘルス対策を積極的に実施することを表明するように推奨してもいる。
 メンタルヘルス対策の具体的な進め方としては,セルフケア,ラインによるケア,事業場内産業保健スタッフ等によるケア,事業場外資源によるケアの四つのケアを継続的かつ計画的に実施することが重要であると述べられている。
 セルフケアとは,労働者みずからが行う,いわゆる自己健康管理に該当する活動を指す。みずからのストレスへの気づきとそれへの効果的な対処,自発的な相談が主な内容であり,事業者はこれを推進するために,教育研修や情報提供,相談に応じる体制の整備などを行う必要がある。具体的には,新入社員教育や社内報,イントラネット等を利用して,情報を提供している事業所がある。また,定期入れ等に入る名刺大の大きさの相談カードを利用している事業所もある。定期健康診断は基本的に年1回であるが,産業医,看護職がその問診の際,気がかりな労働者がいればもちろん,そうでなくても「今後気になることがあれば,いつでもご相談に乗ります。その際,伺った事柄が他の人に漏れることは一切ありません」と伝えた上で,電話や電子メールアドレス等の連絡先やプライバシーが守られる旨が書かれたカードを労働者に渡し,健診日以外でも,気軽に産業保健スタッフに相談できるようにすることにより,相談件数が増加した事業所もある。なお,電子メールによる相談は,場所と時間を問わないことや,一部の労働者にとっては,直接の面談による相談と比べて敷居が低いことなどから,ある面で,有用性が高いといえよう。しかしながら,その実務に関して要求される相談のスキルやセキュリティ等については,必ずしも十分な議論が行われているわけではなく,今後検討されるべき課題が残っている。
 ラインによるケアは,管理監督者が行う活動である。内容としては,ストレスの原因となる職場環境などの具体的な問題点の把握・改善,労働者からの相談への対応,個々の労働者に対する適正な業務上の配慮が挙げられる。ラインによるケアを推進するためにも,教育研修や情報提供,相談体制の整備などが,事業者の支援として必要である。多くの事業所で産業保健スタッフが管理監督者に教育を行っている。職場のストレス評価を行っている事業所もある。ただし,ストレス評価を同一事業所内のいくつかの部署で行う場合には,ある部署のストレスが他の部署あるいは全国平均と比べて著しく高いと判断された際に,その結果が,当該部署の管理責任者個人の責任とされてしまい,改善にもつながらない等が危惧されるため,行う前に,結果に対するフォローまである程度検討しておく必要がある。職場のストレス評価については,ある部署で明らかになったストレス要因について優先順位をつけて改善し,次年度に再度調査を行い,実際改善されたかどうか再評価するといった,経年的な評価を行うことで成果をあげている事業所がみられる。
 ラインによるケアは,上司・部下関係が明確な組織,上司が部下の勤務の様子を直接観察したりコミュニケーションをとったりして常時把握できる状況を想定しているところがある。しかし,裁量労働制,テレワーク,在宅勤務等の労働形態の多様化により,その前提が崩れてしまい,職場環境の改善,部下への積極的な相談対応といった活動が困難な場合もある。そのような職場では,通常のラインによるケアが十分に行えない分,代替の対策を講じる必要があり,その点に関しては,今後の課題といえる。また,派遣社員への対応のあり方についても,いくつかの議論の余地があろう。
 事業場内産業保健スタッフ等によるケアは,産業医,衛生管理者,看護職(保健師,看護師)などの事業場内産業保健スタッフ等が行う活動である。産業保健スタッフは,管理監督者とともに職場環境などの実態把握とその改善を行ったり,労働者に対する相談対応,事業場と事業場外資源とのネットワークの形成と維持などを進める。こうした役割を果たすためには,一定の知識や技術などが必要である。現在,必ずしも産業保健スタッフがそういう知識や技術を十分備えているとは限らず,必要に応じて習得の場が与えられるべきである。具体的には,事業所内(あるいは事業所外)のスーパーバイザーによる指導や,外部機関などが行う教育研修などが挙げられる。プライマリケア医を対象としたうつ病教育を行うことで自殺者数が減少したことを報告したGotland研究や,その他海外のうつ病プログラムでも示されているように,疾病予防プログラムのなかで先行して取り組まれるべき課題は,身近な相談者である健康管理専門家のアセスメント能力の強化である。なかでも職域において遭遇する頻度が最も高く,自殺予防に欠かすことができない抑うつ状態に関するアセスメント能力の向上は非常に重要である。また,アセスメントの方法も,これまでの問診票の回答をもとにした方法だけでなく,ある程度構造化された面接法を用いて評価を行うことが有用とされている。うつ病のスクリーニングとしてM.I.N.I.(Mini-International Neuropsychiatric Interview)が注目されているが,これについては後述する。
 なお,精神障害の治療に産業医が関与するのは避けるべきであると考える。これは,事業所内で行われる治療において,受療者(労働者)と治療医間の関係がこじれた場合に,事業所の責任および労務管理上の問題等に関して,誤解や混乱を招く可能性があること,労働安全衛生法で規定されている健康診断関連情報と診療にかかわる情報(事業所内診療のものであっても)とは峻別して取り扱われるべきものであること等による。産業医以外の医師においても,事業所内で治療を行うのであれば,それはあくまで受療者本人の意思が尊重され,外部機関での受療を制限するものではないこと,そこでの情報が本人に無断で適正配置などを含む健康管理に反映されることがないこと等をあらかじめ明確にしておくことが望まれる。昨今,事業所内において診療をとりやめるところも増えてきているようである。自己負担分を事業所が肩代わりしているところが多いことから,専門医の人件費とあわせて経費節減の一環として中止する場合がある。また事業所内医療機関を利用できる労働者が地理的条件から限定されることによる不公平感のあることや,精神障害においては利用することへの抵抗感のあること,さらには事業所内であることによる甘えの助長,そのことにともなう治療効果への望ましくない影響なども,この背景として考えられる。
 一定規模以上の事業場では,事業場内あるいは企業内に,上記の活動をより専門的な立場で行うことのできる心の健康づくり専門スタッフを確保することが推奨されている。心の健康づくり専門スタッフとは,THPの心理相談担当者,産業カウンセラー,臨床心理士,精神科医,心療内科医などである。しかし,一般的にみて,彼らが同等の役割を担えるわけではなく,また,それを期待すべきでないことはいうまでもない。
 なお,このケアの枠には人事労務管理スタッフが果たすべき役割も明記されていることにも注目すべきである。産業保健スタッフは時間外労働の制限や配置転換について意見を出すことはあるが,最終的に決定するのは一般的に人事労務管理スタッフである。彼らとの連携なしにはメンタルヘルス対策は円滑に行うことができないという実態を反映しているものと受け取れよう。
 事業場外資源によるケアにおける事業場外資源としては,都道府県産業保健推進センター,地域産業保健センター,中央労働災害防止協会,労災病院勤労者メンタルヘルスセンター,健康保険組合などがある。メンタルヘルス対策を推進するにあたっては,必要に応じて,こうした機関を活用することが効果的である。特に内部に産業保健スタッフを十分に確保できない中小規模事業場では,いかに事業場外資源をうまく活用するかが,メンタルヘルスの鍵となるといえる。事業場外資源の活用にあたっては,それぞれの果たしうる役割をよく吟味しておくことが大切である。たとえば,都道府県産業保健推進センターの役割は,本来事業者や事業場の産業保健スタッフに対して,必要な情報を提供するなどのサービスを行うことを主としており,個々の従業員が相談を持ちかける場合は別の機関を選んだほうがよい。また,都道府県産業保健推進センターにメンタルヘルス専門の相談員がいる場合は,事業所単位で申し込めば,管理監督者への教育を無料で依頼することもできる。また,地域産業保健センターは全般的に十分機能しているとは言い難く,センター側,利用する小規模事業場双方の意識改革が望まれる。
 事業場外資源としては,上記の公的・準公的機関以外に,一般の医療機関(クリニック,総合病院,専門病院)がある。昨今では精神科・心療内科のクリニックが急増しており,これらはアクセスが容易な立地条件にあり,しかも夜間・休日診療を行っているところも増えてきているので,労働者にとっては敷居が低く利用しやすい専門医療機関が多くなってきているのである。しかしながら最大の問題点はクリニックや病院の専門医に産業保健に関する理解・知識がほとんどないことである。卒前の医学教育において産業保健は決して重視されているわけではなく,また卒後教育においても,日本医師会の産業医研修等を受講しない限り,産業保健を学ぶ機会は皆無に等しい。したがって,産業保健スタッフや人事労務担当スタッフが,本人の同意を得て主治医にコンサルテーションを求めても,有益な情報・アドバイスが得られないことも往々にしてある。もちろん通常コンサルテーションには対価が支払われないことも大きな問題である。卒前・卒後教育やコンサルテーションに対価を支払うという社会的合意を取りつけることなど課題が多いのが現状である。
 最近,事業場外資源として,EAP(従業員支援プログラム)機関が注目を集めている。EAPは,アメリカの労働組合において,アルコール依存症の回復者が依存者をケアする活動から始まったとされているが,徐々に新しいビジネスとして注目されるようになってきた。その背景には,アルコール依存症や薬物依存症がアメリカ企業の経営を圧迫するほどまで重大な問題になったということがある。そのため企業は損失を減らす手段としてEAPを取り入れ始めた。1980年代以降,EAPサービスにはメンタルヘルス一般・家族・経済的・法律問題などが含まれるようになってきた。わが国では,1980年代の終わりごろからEAPを提供する機関がみられるようになってきた。
 EAPは,いまだ事業場外のメンタルヘルス関連サービスの総称であるかのごとく広報されることがあるが,アセスメント手法や組織に対するコンサルテーションなど独自の手法を有するサービスである。その特性を生かすためには,EAPサービスの担当者にこの分野に関する幅広い知識と熟達した技術が要求される。また,サービスを受け取る側の事業所においても,EAPサービスの担当者と連携する窓口の役割を担うスタッフの存在が重要となる。EAPの利用を考える事業所において,まず必要なのは,事業所の既存の資源で何ができるのか,EAPサービス機関に何を委託するのかを明確にすることであり,その上で事業所のニーズに最も合ったEAPサービス機関を選択することになる。
 四つのケアの関係を整理してみると,活動の柱となるのは,セルフケアとラインによるケアの二つであり,事業場内産業保健スタッフ等によるケアと事業場外資源によるケアは,主としてそれらを支援する活動であると位置づけることができよう。
 なお,筆者らはこの四つのケアに加えて,第5の柱として家族によるケアを考えている。産業保健スタッフ等がどこまで家族とかかわりを持つかは難しい問題ではあるが,事業場内資源と事業場外資源が家族と協働して,労働者のメンタルヘルスケアを行うことができれば最も効果的であろう。
 メンタルヘルス指針は,それを精読すれば明らかなように,一部の特定の作業者に向けられたものではなく,対象には,すでに精神障害によって休業したり,就業上支障をきたしている労働者も,特に表面化した問題を有していない労働者も含まれる。すなわち,メンタルヘルス対策は事業場を挙げて取り組むべきものであると考えるべきである。
 また,掲げた活動のおのおのは実施するだけでなく,その都度適切な評価を行う必要がある。こうした「計画―実施―評価―改善(―計画の見直し)」というサイクルを回していくシステムづくり(労働安全衛生マネジメントシステムの考え方)も望まれるところである。


IV メンタルヘルス対策の困難さ

 上述してきたように,メンタルヘルス指針は,多くの職場で適用が可能な汎用性の高いものであるといえるが,一方で活動を実践する上では具体性に欠ける面もある。
 この問題に関しては,メンタルヘルス指針の公示に先行する形で,旧労働省委託研究「労働の場におけるストレス及びその健康影響に関する研究」が5年間にわたって行われており,その成果物のなかには,指針に沿った形でメンタルヘルス対策を進める際に活用することができるツールがいくつかある。代表例としては,職業性ストレス簡易調査票,仕事のストレス判定図などが挙げられる。
 「職業性ストレス簡易調査票」は,質問項目は57項目で,回答時間は約5分となるように工夫された質問票でありながら,職業性のストレス因子と,それによるストレス反応(抑うつ,活気などの気分プロフィールや,身体愁訴など),およびそれらの関係に影響を与える因子(家族や同僚の支援)を同時に測定し,ストレスを総合的に評価することが可能となっている。調査票に対する回答を検討することにより,ストレス因子に強くさらされている労働者,気分の落ちこみなど心理的な問題を抱えている労働者などを早期に発見することができるなど,職業性ストレスの存在が疑われるケースを効率的に抽出する一助となり,労働者の健康管理に役立てられる。また,調査の結果をわかりやすい表やレーダーチャートにして個人にフィードバックすることにより,労働者自身のストレスへの気づきやその対処行動を促進しうると考えられている。さらには,ストレス因子となる職場環境の改善(集団へのアプローチ)やストレスマネジメントとして施行した面談などの効果評価にも利用可能であると思われる。
 「仕事のストレス判定図」は,職場や作業グループなどの集団を対象として仕事上の心理的なストレス要因を評価し,それが従業員のストレス反応や健康にどの程度影響を与えているかを判定するための簡便な方法である。全国の平均とくらべて自分の職場のストレスが高いかどうか一目でわかる,仕事のストレスによってどの程度余分に健康問題が発生する可能性があるかを「健康リスク」として計算することができるなどの特徴がある。しかしながら,「仕事のストレス判定図」は項目数が少ないことによる制約があり,また業態,職種等による違いを考慮する必要があり,あくまで一つのツールと考えるべきである。筆者らは,事業所においてヒアリング調査を行って,当該事業所の特性を考慮した調査票を新たに作成して,仕事のストレス判定図と併せて検討した経験があるが,汎用性の調査票の限界性が示唆された。時間的・経済的に可能であれば,当該事業所においてヒアリング調査とともに,汎用の調査票に加えて独自の質問紙による調査を施行することも一案としてあると考えている。これらのツールはあくまで,個人および組織におけるストレスに関する気づきを促進するものとして考えるべきものであり,過信や安易な運用は避けるべきであろう。あらゆる評価尺度にはその効用と限界のあることを銘記すべきである。
 また,メンタルヘルス指針では,活動を計画的,継続的に実施していくことの重要性を強調しているが,これはそうたやすいことではない。他の安全衛生活動と同様に,メンタルヘルス対策も,毎年当然のことのように事業所の年間計画に組み込まれ,着実に実施されるまでに定着するには,関係者の熱意と工夫が必要である。人事異動によって安全衛生担当の管理職が交替すると,数年間続いていた活動が立ち消えになる例はよく見られる。管理監督者教育の内容やセルフケアのための資料などについては,先進事業所の実績などが参考になるが,活動を継続,推進していくために有用な情報はまだ多くないのが実情である。


V 精神障害における労災補償

 平成11年に旧労働省から「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」が公示された。本指針では,まず労災認定対象となる精神障害を挙げ,それに当てはまる例について,仕事上のストレス要因,仕事外のストレス要因(それぞれ別表で具体的に例示している)および個人側要因(脆弱性)を適切に評価した上で総合的に判断されることを求めている。ストレスについては,仕事上の出来事とそれが引き起こす心理的負荷の一般的な程度が別表で示されており,それを参考にしておのおのの仕事上の心理的負荷の大きさが判断されることになるが,そうした出来事が発生した後の本人を取り巻く仕事関連の変化によって,心理的負荷の大きさの評価が異なってくる可能性があることに注意したい。すなわち,大きな心理的負荷をもたらすと考えられる出来事が生じても,その後本人の仕事の質的あるいは量的負荷が軽減されたり,職場の中で十分なサポートがなされたりした場合には,本人が受けた心理的負荷はその出来事が通常もたらすであろうそれよりも軽度であったと判断される可能性がある(逆もまた起こりうる)と考えられる。また,強い心理的負荷の要因として,特に長時間労働が重要視されていることも見逃せない。別の見方をすれば,仕事上の重大な出来事を経験した労働者に対して日常以上の適切な支援を行うこと,仕事の偏りを軽減し,一部の労働者が過度の長時間労働をせざるをえないような状況をつくらないことなどは,精神障害で業務上疾病と認められる事例が起こるのを回避するための対策となりうると考えられる。なお,長時間労働については,脳・心疾患の発症による「過労死」も社会的に問題となっており,平成14年2月に厚生労働省から「過重労働による健康障害防止のための総合対策」が公示された。事業者が講ずべき措置として,(1)時間外労働の削減,(2)年次有給休暇の取得促進,(3)労働者の健康管理に係る措置の徹底があり,(3)としては,月100時間を超える時間外労働を行わせた場合に当該労働者に産業医等の面接による保健指導を受けさせ,必要な事後措置を行う等が明記されている。近年の不況により,多くの職場ではリストラが行われ,残った労働者が従来よりも少人数で,従来と同じかそれ以上の業務を行わなければならず,実際には時間外労働の削減はなかなか一筋縄にはいかない問題である。しかし,労働者への安全(健康)配慮義務に対するリスクマネジメントや,サービス残業に対する賃金不払い問題などから,経営者層が業務内容を抜本的に見直したり,管理監督者に対して時間管理に関する意識改善を図るなど,組織的に時間外労働を削減するよう努力している事業所も見受けられる。
 昭和58年から平成14年までの20年間に,精神障害に係る労災申請件数は1149件(自殺は505件)であったが,判断指針公示後4年間に973件(自殺397件)が申請され,この4年間の申請件数は過去20年間の申請件数の84.7%を占めた。実際に過去20年間に労災認定された件数は235件(自殺113件)であり,最近4年間の認定が93.6%(220件)を占めた(表1)。PTSD(外傷後ストレス障害)も労災として認定された事例がある。本来労災として救済されるべき例が補償を受けるのは当然のことであるが,それをどういった範囲とすべきかについては,意見の分かれるところである。これはPTSDの疾病概念ともかかわる問題ではあるが,関連事例の発生や,その社会的影響をも考慮した慎重な討議を望みたい。

表1 精神障害等の労災補償状況


VI うつ病,自殺に関する対策

 職場のストレスによる精神障害としてはさまざまなものがあるが,なかでもうつ病に関する対策が最も重要であると考えられる。有病率が高いことや,適切な対策を講じることにより,予防,早期発見,早期治療を行える,逆に適切に対処しなければ自殺に至る危険性が高いことなどがその理由である。うつ病対策としては,うつ病のスクリーニングを行っている事業所がある。健康診断の機会にM.I.N.I.等を用いたうつ病のスクリーニングを行っている事業所もある。M.I.N.I.の利点は,短時間で実施できるため,限られた時間内で行わなければならない健康診断に組み込むことができるところにある。最初の2問の質問に要するのは15秒ほどであり,大半の労働者はこれで終了する。残りの約5%に対しては,全部で九つの質問を行うが,これに要する時間も5分以内である。ただし,うつ病のスクリーニングを行う場合には,うつ病の疑いがあるケースが発見された場合,どのような対応を行うかまで事前に検討を行った上で実施する必要がある。そうでなければ,うつ病を見つけたはよいが,掘り起こしをしただけでかえって問題点を増やしてしまうだけということになりかねない。スクリーニングの結果,最初の2問のどちらかに「はい」と答えた労働者については,何らかの対応を行う。その方法としては,本人に,うつ病は普通にみられる病気であること,しかし,放置すれば自殺も含め重大な結果をもたらしてしまう可能性があること,うつ病は治療によって治すことが十分可能であることを説明したり,このような事柄を記載したパンフレットを渡す,専門機関を紹介する等が挙げられる。
 場合によっては,本人の許可を得たうえで家族や職場の上司との連携をとることも必要になる。
 平成14年のわが国の自殺者総数は3万2143人で,過去最悪だった平成11年の3万3048人より若干減少しているものの,5年連続して3万人を超えている(表2)。この原因として,近年の不況による経済的問題が大きく影を落とし,うつ病をはじめとするメンタルヘルスの問題が直接的あるいは間接的に関与している例が少なくないことが指摘されている。

表2 過去10年間の自殺者数の推移

 いわゆる過労自殺をめぐる民事訴訟は,自殺の主因が過大な仕事上の負荷にあったとして,遺族が企業の事業者責任を追及したもので,事業者の安全(健康)配慮義務が十分に果たされていたか否かが,重要な争点となっている。職場のメンタルヘルス対策は,雇用契約における事業者の信義則上の債務である安全(健康)配慮義務に関するリスクマネジメントとしても,とらえられる必要がある。
 これに関連して付言すると,精神障害の労災認定要件が緩和されたり,民事訴訟においてメンタルヘルス面に関しても事業者責任が追及される事態は,ある一定のところまでは,多くの職場において職場のメンタルヘルス対策を推進させることにつながるであろうが,それが度を越す,すなわち職場で充実した対策を実施していてもその活動が認められない例が多く出てくるようなことになると,事業所は労災申請や訴訟を未然に防ぐことに重点を置いた施策を講じざるをえなくなり,本来のメンタルヘルス対策のあるべき姿がゆがめられてしまう恐れもある。例えば,少しでも精神障害の疑いがある事例では安全配慮義務の観点から就業させない措置を講じることになる可能性がある。
 「職場の自殺予防マニュアル」は,労働者の自殺予防に必要な知識をわかりやすくまとめ,自殺の予防に役立てる目的で,中央労働災害防止協会に置かれた委員会での合議によってつくられたものである。自殺の実態,産業精神保健の動向,自殺の予兆,日常の配慮と相談対応,相談体制,自殺の既遂と遺された人への対応,自殺への予防対応の事例などが記載されている。しかし,この小冊子では,職場で行われるべき自殺予防対策の優先順位や限界等が十分に整理されていないところがある。自殺予防対策が産業保健活動の中で行われる以上は,職場や業務に関連した問題が直接要因あるいは間接要因である自殺を予防する対策がまず優先されるべきであるし,その次には就業面の配慮を行うことで自殺防止に寄与できる事例への支援を行うべきであろう。また,比較的規模が小さく,十分な産業保健スタッフが確保できない事業所で行える活動を厳選するとともに,事業場外機関や地域医療との連携,役割分担を明確にすることも望まれる。


VII 復職に関する課題

 現在,大規模事業所を中心に,長期にわたって(例えば,原則として1カ月以上)休職した労働者に対して,復職の可否および復職にあたって業務面で配慮されるべき事項を判断するための健診を行っている事業所が多い。産業保健スタッフ等が本人と面談した上で,場合によっては職制,人事を交えた復職判定委員会で復職の可否や適正配置についての検討がなされる。特にメンタルヘルスの問題により休業した労働者に対しては,再発の予防が行われ,円滑な職場適応のための配慮がなされることが重要である。このため,復職前のいわゆる「試し出勤」や,復職後,半日勤務から開始する「ならし出勤」等を行っている事業所もあるが,労働基準法等との問題となることもある。
 また,復職は原職復帰が原則といわれているが,これは環境の変化によるストレスが加わることを避けることを目的としている。ただし,部署内での人間関係のトラブルなど,休業に至った原因が原職にある場合はもちろんこの限りではなく,配置転換が望ましい事例もある。一部の大規模事業所では,以前は多彩な部署が存在していたり,復帰訓練のために,一定期間,清掃業務等の負荷の低い業務に従事させ,その後,原職復帰に至るといったシステムを持っていたりしていたが,不況による分社化や定型業務の外注化などにより,配置転換が困難な事例が増加している。
 メンタルヘルス対策において,復職に関する支援制度は最も重要な事項のひとつといえるが,難しい側面を持つ問題でもある。産業医は,労働者の復職に際し,復職する本人と受け入れ先の職場の双方に対する支援を心がける必要がある。「中立性」という言葉で済ますのは簡単であるが,各々の事例について詳細な情報収集やバランスのとれた判断が求められる。
 「職場におけるメンタルヘルス対策の事業者等支援事業実施要綱」に基づき,平成13年度より,職場におけるメンタルヘルス対策支援委員会が中央労働災害防止協会に置かれたが,翌14年度より,その下に,専門部会のひとつとして「職場復帰支援モデル事業」を進めるための職場復帰支援部会が設置された。平成14年度は,いくつかの事業場にてヒアリングを行い,事例を収集し,それを基に「職場復帰支援プログラム案」が作成された。これらの成果物等によって,今後,よりよい復職支援のあり方が提言されることが望まれる。


参考文献

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 あらたけ・ゆたか こうかん会鶴見保健センター主任医員。産業保健専攻。

 ひろ・ひさのり こうかん会鶴見保健センター長。産業保健専攻。

 しま・さとる 東京経済大学経営学部教授。精神医学専攻。